職場での出来事。ある日、上司が「いや〜ガッカリだよ」とため息をついた。理由を聞いてみると、「こういう書類を作ってくれ」と頼んだ部下の仕事の出来が、自分の思い描いていたレベルに達していなかったかららしい。
私はこの「ガッカリ」という感情が、どうにもピンと来ませんでした。もちろん、「期待していたものが得られず落胆する」という気持ちは理解できます。でも、どうしてそんなにガッカリするんだろう。 それって、結局「自分の期待と現実のギャップ」なだけであって、そのギャップを生み出したのは、自分自身なのではないでしょうか。
ガッカリするとは「勝手に期待し、勝手に失望すること」か
例えば今回のケース。上司は部下に書類を依頼した。しかし、出来上がったものは思っていたレベルに達していなかった。それに対して「ガッカリだよ」となる。
けれど、ここで少し考えたいのは「ガッカリの責任はどこにあるのか」ということです。
部下は確かに期待どおりの成果を出せなかったかもしれない。でも、そもそも「どういう仕上がりを求めているのか」を、明確に伝えられていただろうか。依頼の仕方に曖昧な点はなかったか。 「これくらいは察してくれるはず」と思い込んでいなかったか。
「こういう書類を作って」と言われても、人によって「こういう」が指すものは違います。具体的なフォーマットやポイント、期待するレベル感を伝えていなければ、「ズレ」が生じるのは当然です。それなのに「ガッカリ」してしまうのは、ただの当て外れではないでしょうか。
そもそも、仕事を依頼する側の責任として、「相手が適切に動けるように伝える」というのは必須のスキルだと思います。伝え方に問題があったなら、次回から改善すればいいだけの話。それを「ガッカリ」という言葉で表現するのは、何となく他責的な印象が拭えません。
ガッカリなんてするんじゃねぇ
私はできるだけ「人にガッカリしないようにしよう」と思っています。なぜなら、自分の感情を他人に委ねすぎることになり、自分の人生を生きている感覚が薄れるからです。
誰かに何かをお願いして、その通りにならなかったとき、それを「ガッカリ」にするか「じゃあどうすればよかったのか?」と考えるかは、自分次第だ。「ガッカリ」を感じるたびに他人のせいにしていたら、他者に自分の気分のコントロールを任せることになる。それはもったいない。
そう考えると、「ガッカリする」よりも「どうすれば伝わるのかを考える」ほうが、よほど前向きだし、自分自身の成長にもつながる気がしています。
モヤモヤするも、結局は同じでは
ネットでは「モヤモヤする」という表現をよく目にすします。たとえば、
- 会議で納得いかないことを言われた
- 上司や同僚の態度が気に入らなかった
- SNSでの発言に違和感があった
こういうときに「なんかモヤモヤする…」という言葉が使われることが多いでしょう。
でも、この「モヤモヤする」という感情も、「ガッカリする」と同じように、結局は「自分の思っていたことと現実が違った」というギャップに対する反応のように思えます。
たとえば、客観的な事実を指摘されたとき、それを「モヤモヤする」と感じるのは、単に自分の主観と食い違っているだけではないでしょうか。自分の考えが否定されたわけでもなく、ただ事実を言われただけなのに、なぜか傷ついたような気がします。
こういうときに大事なのは、自分の感情と客観的な事実を切り分けることではないかと思います。感情を大事にするのは良いことですが、世の中では主観的な感情を重視しすぎる傾向があるように感じます。SNSのショート動画が流行るのも頷けます。
いい大人は「モヤモヤする」「ガッカリする」なんて使わないでしょう
結局のところ、「ガッカリする」「モヤモヤする」という感情は、自分の期待や思い込みが外れたときに生まれるものです。
- 「こうなるはずだ」「こうあるべきだ」という自分の思い込み
- それにそぐわない現実
このギャップをただ受け入れるだけでいいのに、そこに過剰に反応してしまうと、必要以上に気分が沈んだり、誰かを責めたくなったりします。
もちろん、人間だから多少のガッカリやモヤモヤはあります。でも、それを外部のせいにしないように意識する。これは社会人としては常識だと思っているけど、世の中の見え方があまりにも違う人が多いように思えます。
コメント