税務署や国税局で税務調査を行っていたこと、そして父が中小企業を経営していたこともあり、私は会社を運営することの大変さを多少なりとも理解しているつもりです。
日々の資金繰り、従業員の雇用、取引先との関係構築、そして経営判断の責任——。経営者の負う重圧は計り知れないものがあります。
そんな中で、「これが経営者の余裕なのか」と、今でも記憶に残る出来事がありました。
私が税務署で調査官をしていた20代半ばの頃、とある工事業の会社へ税務調査に行きました。社長は体格の大きな方で、第一印象としてはおおらかで包容力のある人物でした。
会社の状況を聞き取る「会社概況聴取」の際、社長は単なる事業内容の説明にとどまらず、経営哲学についても語ってくれました。従業員を大切にする姿勢がにじみ出るような話ぶりで、「この会社は雰囲気がいいな」と感じたのを覚えています。
税務調査というのは、多くの経営者にとって歓迎したくないものです。しかし、この社長は調査に対して真摯に対応し、終始落ち着いた態度を崩しませんでした。
調査を進める中で、結果として重加算税を賦課することになりました。
重加算税とは、課税標準や税額の計算において、納税者が隠蔽・仮装したと認められた場合に課せられる税です。世間一般に「脱税」と混同されることもありますが、必ずしも悪意をもって違法行為をしたものであるとは限りません。
この会社の場合も、結果的に「仮装の事実がある」と判断せざるを得ず、重加算税を賦課決定する運びとなりました。
しかし、重加算税の賦課決定には、物的証拠だけでは不十分な場合があり、社長への聞き取り調査(質問応答記録書の作成)が必要となりました。
質問応答記録書は、調査官が納税者に質問し、そのやり取りを証拠として書面に残すものです。現在はパソコンで作成することが多いですが、当時はすべて手書きでした。
私は社長に質問を投げかけ、それに対する回答を丁寧に書き記していました。その時、ふと社長が言った言葉が、今でも心に残っています。
「君は左利きなんだね。左利きの人は器用で頭の回転が速いと聞くけれど、君もそうなのかもしれないな。若いうちからしっかりした仕事をしているように見える。これからも頑張って、良い仕事を続けていってほしい。」
今まさに重加算税を課そうとしている相手——言い換えれば、自社にとって決して有利ではない判断を下す調査官に対して、社長は敵意を向けるどころか、穏やかに、そしてどこか温かみのある言葉をかけてくれたのです。
決して皮肉ではなく、本心からの言葉だったと思います。
この時、私は経営者の余裕というものを肌で感じました。
一般的な経営者であれば、税務調査の場面では怒りや焦り、あるいは防御的な態度を見せてもおかしくありません。しかし、この社長は違いました。どっしりと構え、自らの責任を受け入れ、感情に流されずに対話を続ける——。
私はこの出来事をきっかけに、経営者を見る目が変わった気がします。
企業のトップに立つということは、単なるビジネスの舵取りではなく、精神的な余裕を持ち続けることでもあるのかもしれません。
資金繰りに追われ、プレッシャーのかかる日々の中で、どれだけ冷静に、どれだけ人間的に振る舞えるか。それが経営者としての器の大きさを決めるのではないかと思います。
これから税理士として独立し、経営者と向き合う機会が増える中で、この経験を忘れずにいたい。
「経営者の余裕」とは、単に金銭的な余裕だけではなく、精神的なゆとりや人間としての器の大きさなのだと。
あの社長の言葉を思い出しながら、そう感じました。
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