国税の職場では、税務調査の手法は調査担当者によって様々です。と言うより、属人化していると言った方が正しいかもしれません。昭和の時代から続く「見て覚えろ」文化の名残なのか、先輩や担当統括官のやり方を間近で見て、見よう見まねで調査を進め、自分なりの型を身につけていく。そんな「職人芸的な」調査スタイルが今もなお根強く残っています。
寿司職人の世界では、「シャリ炊き3年、あわせ5年、握り一生」、うなぎ職人なら「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」と言われます。最終的な握りや焼きの技術は、生涯かけて習得するもののようです。これと同じような価値観が、なぜか国税の調査にも通底しているように感じます。
この価値観にどうにも違和感があります。
寿司の握り方は、今やYouTubeで学べる時代です。名店の職人が惜しげもなく技を解説し、「見て覚えろ」どころか、むしろ「見せて覚えさせる」姿勢すら見せています。一方で、税務調査の手法はどうでしょうか。言語化されず、研修で体系的に教わる機会も少ないのが現状です。調査経験者が「見て覚えた」結果、自分の技術をどのように言語化すればいいのかわからず、結局「見て覚えろ」が繰り返されているのです。
もちろん、ここ20年ほどで状況は少しずつ変わりつつあります。主務課等をはじめ、調査手法を言語化し、情報を共有しようという動きも出てきました。しかし、そうした情報の多くは即物的で、「すぐに役立つ方法」に偏っているように思います。
確かに、「明日の実地調査で使える」情報はありがたいです。しかし、そればかりでは、調査の本質的な力は身につかないような気がします。税務調査は、単なるチェックリストの確認作業ではなく、相手との対話や資料分析を通じて、隠れた事実を見抜く仕事です。そのためには、即席のノウハウよりも、考え方や本質を見抜く力を鍛える情報が必要だと感じます。
例えば、税法を学ぶ際に、金子宏の『租税法』を読んだからといって、翌日から実務で役立つわけではありません。むしろ、初見では意味がよくわからず、難解すぎると感じることの方が多いでしょう。しかし、数年経って読み返してみると、こういうことだったのかと腹落ちする箇所が出てくるかと思います。このように、中長期的な視点で役に立つ情報こそが、真に価値のあるものではないでしょうか。
残念ながら、国税の職場では、このような「時間をかけて学ぶ価値のある情報」の共有があまり進んでいません。即席のノウハウはすぐに陳腐化しますが、抽象度の高い思考法や調査の本質に関する知見は、むしろ時間が経つほどに深みを増します。そうした知識が、体系的に蓄積されていないことが、調査手法の属人化を助長しているのではないかと思います。
さらに言えば、調査が優秀な職員ほど、ずっと調査を続けられるわけではありません。むしろ、彼・彼女らは庁局の総務系統や主務課に引き上げられ、調査経験の割に仕事が微妙な者(表現すみません。)ばかりが調査の最前線に残ることになります。この人事のアンバランスも、調査の質を一定に保つうえで大きな問題ではないでしょうか。
私自身、国税職員としてのキャリアは結構長くなってきましたが、そのうち調査に携わったのはわずか3年です。短期間しか調査を経験していない私が、調査手法についてとやかく言うのも気が引けます。しかし、「見て覚えろ」だけでは限界があることは間違いありません。調査の本質を言語化し、共有し、長期的に役立つ知識を蓄積する。そんな仕組みができれば、税務調査の質も向上するのではないかと思います。
このまま、「シャリ炊き3年、あわせ5年、握り一生」的な価値観が国税の調査にも適用され続けるのか。それとも、もっと合理的な形で調査手法を継承していくのか。これからの国税のあり方に、少しだけ期待したいと思います。
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