決断の基準は「変化があるかどうか」
何かを決断するとき、大きな方向性をあらかじめ決めておくと、いざというときに迷わずにすみます。
私の場合、価値基準の一つに「変化は正義」があります。
選択肢がいくつかあって迷ったときは、なるべく変化が大きい方を選ぶようにしています。これが正解かはわかりません。ただ、自分の中の信念として、変化のある道を選ぶほうが後悔が少ないと思っているのです。
無謀と挑戦は違う
もちろん、無謀な挑戦を勧めたいわけではありません。死力を尽くせば何とかなるかもしれない、というレベルの挑戦であれば、それはもう、やる価値のある冒険だと私は思っています。
岡本太郎の言葉に背中を押された
昔、岡本太郎の著書『自分の中に毒を持て』を読んだとき、こんな言葉に出会いました。
“みんな、やってもみもしないで、最初から引っ込んでしまう。
それでいてオレは食うためにこんなことをしているが、ほんとうはもっと別の生き方があったはずだ、と悔いている。
いつまでもそういう迷いを心の底に押し殺している人がほとんどだ。”
読んだ瞬間、頭をガツンとやられた気分でした。自分にも思い当たる節があったからです。
「変化のある人生」を選んできた
結婚という変化
私が「変化は正義」と本気で思うようになったのは、おそらく結婚を決意したときが最初だったと思います。
自分の中の覚悟が試された出来事でした。静かな決意を胸に抱えて、自分の人生に大きな変化を受け入れました。
※参考記事:ドラクエ10がつないだ縁、今こそ恩義に報いるとき
安定の道からの独立
そして今、私は公務員という安定の象徴のような職を離れ、独立して税理士として生きていく道を選ぼうとしています。
これについても、周囲からはよく言われます。
「もったいない」
「せっかく安定しているのに」
「そんなにリスクをとらなくても」
たしかに、公務員の道は“ちゃんと食える”ことが保証されている安全な道です。
でも、人間というのはそう単純じゃありません。
私は、食べるためだけの人生ではなく、自分の信念を貫いて生きていたいのです。
変化を選ぶかどうかは、自分で決める
「安定」も、「変化」も選べる
もちろん、世の中には変化を選ばないことで得られる安定や幸福もあると思います。
私自身も、マイホームや車を持たない人生を選びました。それはある意味で「変化を選ばなかった」ケースかもしれません。
けれど、どちらかといえば私は、「世界線の向こう側にいる己へのエール」を送りつつ、自分の選んだ人生に責任を持ちたい派です。
※参考記事:世界線の向こう側にいる己へのエール
積みへらす勇気も持とう
岡本太郎は、こんな言葉も残しています。
“人生は”積みへらし”だ。人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは、逆に、積みへらすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。”
私たちは「経験」や「安定」を積み重ねたくなるものです。ところがそれが、逆に自分の自由を奪っているとしたら。
そろそろ“積みへらす”勇気も持っていいのかもしれません。
自分の人生を、自分の足で歩く
結局のところ、変化を選ぶかどうかは、自分自身が決めることです。
与えられた枠の中で生きるか、自分の人生を自分でつくっていくのか。どちらを選んでも楽な道ではないかもしれません。
でも、もしブログの読者の中に、何か心がザワザワするような「別の生き方への憧れ」があるのなら。
それは、眠っていたご自身の信念かもしれません。
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