今日が人生で一番若い日?

「今日が人生で一番若い日です」という言葉があります。
SNSや自己啓発の文脈でよく見かけますし、やる気を出したいときに自分に言い聞かせている、という方も多いのではないでしょうか。私も以前は、なるほど良い言葉だなと思っていました。

ですが、あるときふと、違和感を覚えました。

確かに、時間は一方向に進みますし、「今この瞬間」が最も若いのは事実です。ただ、それと同時に、「今日が一番年をとった日」でもあるのではないかと感じています。
この言葉の捉え方一つで、人生に対する向き合い方も変わってくるのではないか。そんなことを考えながら、今回の文章を書いています。

若さとは、可能性のこと?

「今日が一番若い日です」と言われると、少し励まされる気がします。

何かを始めるのに遅すぎることはない。
だから、今こそ一歩踏み出してみよう。
そういう前向きな気持ちにさせてくれる、便利でポジティブな言葉です。

でも、「若い」というのは本来、年齢的なものや身体的な状態を指す言葉のはずです。これを、「まだ何かにチャレンジできる」とか「人生を変える余地がある」といった意味に広げて捉えるのは、一種のレトリックだと思います。

もちろん、それが悪いとは思いません。言葉に力をもらえることもあります。
ただ、同時に、「老いていく現実」から目をそらすための魔法のように使われていないか、少し立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。

今日が「一番年をとった日」でもある

一方で、今日という日は、これまでの人生の中で最も年齢を重ねた日でもあります。
昨日の私よりも今日の私は確実に老いており、明日はさらにそれを更新していきます。

言い換えれば、「今日」は、人生で最も多くの経験をしてきた私であり、最も体が衰えている私でもあるのです。
そう考えると、「今日が一番若い日」という言葉に、少しだけ居心地の悪さを感じるのも仕方ないのかもしれません。

若さを肯定することと、老いを否定することは違います。
そして、老いには老いの価値があり、それを無理に覆い隠す必要はないと思っています。

若さにすがるより、年齢を重ねた自分を信じる

私自身、もうすぐ40歳になります。若い頃のように徹夜して仕事をこなす体力はありませんし、流行の音楽にも明るくありません。年齢より若く見られますとか言いません。叩かれるので。

でも、それがすべて「ネガティブな変化」とは限らないと、今は思えます。

たとえば、失敗しても必要以上に落ち込まなくなったこと。
人と意見が違っても、感情的にならずに距離を取れるようになったこと。
若いころはできなかった判断が、自然とできるようになっている自分に気づくことがあります。

こうした変化は、老いではなく「成熟」と言えるかもしれません。

「今日が一番若い日です」と言われると、どうしても「今すぐ動かなくては」という焦りのようなものを感じてしまうことがあります。でも、年齢を重ねた今だからこそ、「急がず、でも止まらず」進んでいける気がします。

今日という日を、どう受け取るか

今日という日は、過去の中で一番年をとった日であり、未来の中で一番若い日です。
つまり、過去と未来のちょうど真ん中にある、大切な一点です。

どちらの見方を選んでも間違いではありませんが、それをどう受け取り、どう使うかが大事なのだと思います。

「もう年だから無理だ」と言って何もしないのも極端ですが、
「まだ若いから大丈夫」と何でも先延ばしにするのも、また別の意味で危ういものです。

若さも老いも、時間の中で同時に存在する感覚です。
ならば、「今日が一番老いた日」だからこそ、今の自分が持っているものを活かしながら、静かに前へ進んでいきたいものです。

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