令和4事務年度、私は庁法人課税課の審理係で実査官として勤務していました。この年から、当課や官房系の一部の部署でアフターコロナの新しい働き方としてフリーアドレスが導入されました。固定席はなく、係ごとにこの島あたりというふんわりした席の割り当てだけがありました。
とはいえ全員が同じ日にフル出社することは(物理上の制約から)ほとんどなかったため、座席争奪戦のようなことはありません。もし席が埋まってしまえば、源泉係や監理系の島で作業すればOKという柔軟な運用でした。係横断的な業務も多く、むしろこのほうが他の係員と話しやすく、壁を感じにくい雰囲気になったと感じます。
コロナも落ち着き始め、下半期には実査官会(飲み会)も再開。庁の実査官は体力オバケが多く、夜中まで飲んで平然と翌日もバリバリ働く姿には感心させられました。私の住む公務員宿舎にも実査官仲間が何人か住んでおり、最寄り駅で終電を気にせず飲み続けた夜もありました。
在宅勤務という新しい日常
フリーアドレスと並行して、リモートワークも本格化しました。自宅にはリモート専用の机と、ゲーミングチェア風の椅子を新調。妻(外資系企業の経理担当で完全リモート勤務)と机を並べ、二人並んで仕事をしていました。光回線も整備済みで、妻の会社から通信費手当が出ていたため金銭的負担はほぼゼロ。
今振り返ると、こうした在宅環境はQOL面で年収+100万円分くらいの価値があったと思います。通勤時間がなくなり、日々のエネルギー配分にも余裕が生まれました。
審理係での仕事と税制改正の概要
審理係の業務は幅広く、国会対応や他省庁との打ち合わせ、庁内他課からのコメント依頼対応、法令解釈通達や法人税申告書別表のリニューアル、税制改正の概要の作成、各種申請書・届出書様式の新規作成、行政文書の記載要領の整備など、多岐にわたります。
中でも印象に残っているのは、法人税関係法令の改正の概要の作成です。令和5年度版から冊子形式を改め、PCでの視認性向上を目的に横組みに統一することとなり、その初回を私が担当しました。色やフォントも一から設計し、思い切り自分好みに作り込みました。今でも同じフォーマットが使われており、ちょっと誇らしい半面、少しばかり黒歴史のような気恥ずかしさもあります。
参考までに、現在の最新版は令和7年度版として国税庁HPに掲載されています(リンクはこちら)。
税理士試験との両立
前年は財務諸表論を短期合格できたものの、令和4事務年度の簿記論は独学で挑んで不合格。むしろ財表合格が奇跡だったのかもしれません。「次は絶対に」との思いから、年明けの1月から大原のWeb通信講座に申し込みました。
簿記論は計算問題が中心で、通勤中の勉強は難しいため、学習はすべて自宅か図書館で行いました。在宅勤務の日は10時00分始業・18時30分終業だったので、始業までは問題集、終業後に講義視聴というリズム。休日は図書館にこもり、4月以降の答練期には教室講義に参加して、そのまま自習室で勉強を続けました。フル出社だったら到底回らなかったでしょうから、この働き方は大きな助けになりました。
人事異動希望と独立への意識
次の事務年度、私は庁の課税系統で係長年次に入ります。人事担当の補佐からは「ぜひ係長を」と言われ、数年後の配置にもその前提が組み込まれていたようでした。しかし私は、このまま審理系の係長としてやっていけるのか、そして税理士試験にいつまで経っても受からなかったらどうするのかという不安を抱えていました。
さらに、10年近く署勤務から離れていたこともあり、のんびりという意味でも今が署に降りる好機ではないかと考えるようになりました。
一方で、国税には「研究科」という大学院派遣制度があり、法人課税課からも毎年1人は行く枠があります。行ってみたい気持ちはありましたが、修了後5年間は事実上退職できない制約(全額学費返納)があり、独立志向の私にはデメリットでした。結局、研究科には選ばれず、ならば思い切って税理士としての道に振り切ろうと思い始めました。
簿記論に確実に合格するためには試験直前の勉強時間確保が不可欠。そのためには庁よりも負担の軽い署勤務が適しているだろうという結論に達し、人事異動希望を署に出すことにしました。
署への異動、そして現実
こうして、次の事務年度は5大署のひとつで審理担当上席となりました。
異動前は「署なら勉強時間は十分に取れるし、庁ほど仕事の難易度も高くない」と踏んでいました。結果、勉強時間確保と仕事の負荷軽減という点は予想通り。
しかし、職員のレベル感や職場の雰囲気は想像以上にギャップが大きかったのです。異動期に同期と飲んだ際、「署は動物園だから俺は行きたくない」と言っていた言葉の意味を、異動してすぐに理解することになりました。
このあたりの詳細は、次回の記事でじっくり書こうと思います。庁から署への落差は、単なる業務量の違いでは説明できない世界が広がっていました。
コメント