『善と悪のパラドックス』を読んで――人間は“自らを家畜化した動物”だったのか

読書

府中市の「ルミエール府中」図書館は、私のお気に入りスポットのひとつです。
静かで落ち着いた空間の中に、意外と専門的で読み応えのある本が並んでいます。

先日立ち寄った際、書架の一角で目を引くタイトルを見つけました。
それが今回の一冊――『善と悪のパラドックス』(著:リチャード・ランガム)です。

調べてみると、この本の定価は税抜4,900円
正直、「こんな高くて面白そうな本が、予約なしで借りられるなんてバグでは?」と思いました。
しかも私が今ハマっている「進化心理学」のテーマど真ん中。
長かったですがなんとか読み終えたので概要と感想を記したいと思います。

人間は「自己家畜化」した動物だった?

本書の核心は、シンプルにして衝撃的です。
――人間は他の動物とは異なり、“自分で自分を飼いならした”動物である。

著者ランガムによれば、私たちの祖先は長い時間をかけて「攻撃的すぎる個体を集団から排除する」という社会的仕組みを作り出し、結果として衝動的な暴力性が遺伝的に淘汰されたといいます。
これが、いわゆる「自己家畜化(self-domestication)」という現象です。

つまり、人類の進化は“教育”や“しつけ”の積み重ねではなく、DNAレベルで穏やかさを選んだ歴史だった。

この視点は、倫理や宗教の話を超えて、「なぜ私たちは見知らぬ他人と共存できるのか?」という問いに、科学的な答えを与えてくれます。

ヒトの脳は3万年で小さくなっていた

読み進めて特に印象に残ったのは、脳のサイズに関するくだりです。
「進化=より大きな脳」というイメージがありますが、現代人の脳は2万年前の祖先より10〜30%も小さいというのです。

ただし、小さい=劣っているわけではありません。
むしろ家畜化された動物(犬、豚、馬など)は総じて脳が小さくなりつつも、社会的な協調性や学習能力が向上しています。
穏やかで群れを維持できる方が、生存競争で有利になる――まさに進化のパラドックスです。

2種類の「攻撃性」が、善と悪を決めていた

人間の暴力性を理解するために、ランガムは「攻撃性」を2つに分類します。

  • 反応的攻撃性(Reactive Aggression):怒りや恐怖から瞬間的に手を出す“熱い”暴力。
  • 能動的攻撃性(Proactive Aggression):目的のために冷静に行う“冷たい”暴力。

私たち人間は、前者が異常なほど低く、後者が非常に高い。
だからこそ、満員電車のようなストレス環境でも殺し合いが起きない一方で、計画的な戦争や排除を組織的に行ってきたのです。
これこそが『善と悪のパラドックス』というタイトルの由来でもあります。

平和は「排除」という暴力の上に成り立っていた

さらに驚かされたのは、人間の平和性が暴力によって生まれたという皮肉な指摘です。

人類は集団内で暴力的すぎる個体を、協力して「排除」してきました。
この行動を可能にしたのが言語の進化です。
噂や評判の共有が可能になったことで、危険な個体の情報が拡散され、最終的に「みんなで制裁を加える」という社会的メカニズムが形成された。
それが結果的に、反応的攻撃性の遺伝子を減らしていったというのです。

古代から現代まで続く「死刑制度」や「社会的追放」は、その名残なのかもしれません。
平和を守るために暴力を行使する――この構図は、進化心理学的には極めて人間らしい行動と言えます。

「不正を罰したい」という強烈な本能

本書で紹介されていた「最後通牒ゲーム(Ultimatum Game)」も印象的でした。
不公平な提案をされると、たとえ損をしても拒否する。
私たちは「自分の利益」よりも「正義の回復」を優先してしまうのです。

この性質は、私たちの社会の至るところで見られます。
SNSでの炎上、会社での内部告発、いじめの構造――いずれも「不正を許せない」という心理から生じている。
正義感と排除の境界は、実は紙一重なのかもしれません。

図書館で出会った“4,900円の思考実験”

進化の過程で私たちがどのように「穏やかさ」と「残酷さ」を両立させてきたのかを知ることは、現代社会を生きる上でも示唆に富みます。本書を通じて、人間の「善意」も「悪意」も、突き詰めれば生き延びるための戦略であるという事実に直面しました。
人間社会の矛盾、SNS時代の分断、職場での不公平感――こうした身近な問題を「進化心理学」という視点で再解釈させてくれます。

府中ルミエール図書館で偶然見つけた一冊が、これほどまでに考えさせられるとは。
「高い本ほど、借りたときの得した感が強い」――そんな庶民的な喜びもありつつ、読書の秋にぴったりの、知的スリルを味わえる一冊でした。

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