花の名前がわからない男が、ちょっとだけ成長した話

散歩をしていると、道端に花が咲いていることがあります。季節の移ろいを感じられて、とても良いものです。
ただ、問題があります。私は、その花の名前がさっぱりわからないのです。

もしかすると、男性あるあるなのかもしれません。
私と同じように、見たことがあるのに名前は思い出せない、もしくは最初から知らないという方も多いのではないでしょうか。

私の場合、「見てすぐに名前を言える花」を数えたほうが早いかもしれません。
今パッと思いつくのは、ツツジ、椿、桜、梅、タンポポ、ヒマワリ、バラ、キンモクセイ、パンジー、チューリップ、ユリ、モクレン…うん、こうして並べてみると、そこそこわかるようになってきました。

それもこれも、最近、散歩中に妻から繰り出される“花の名前クイズ”に耐え続けてきた成果だと思っています。
例えば、ある日「これ何かわかる?」と聞かれ、「公園によくある屋根つきのやつ!」と自信満々に答えたことがあります。
正解は「藤(ふじ)」でした。屋根つきのやつは「藤棚(ふじだな)」だそうです。
それ以降、私は公園で見かける藤棚を得意げに指差して「これは藤棚だ」と言い切るようになりました。

こんな感じで、妻からの軽やかなツッコミ(時にアカデミックハラスメント)を受けながら、少しずつ花の名前を覚えていっています。
30代も終わりに差し掛かって、まさか自分がこんな成長をするとは思っていませんでした。


そんな私が、花に興味を持つようになるきっかけとなった場所があります。
それは伊豆大島の大島公園にある椿園です。

昨年、旅行で伊豆大島を訪れた際に、なんとなく立ち寄ったのですが、これがとても楽しかったです。
園内にはとにかく多種多様な椿が咲いており、「エリザベス」とか「プリンセス雅子」といった名前の品種に、思わず「ビッグネームだな…」と思ってしまいました。
椿というと、赤くて丸い花びらのものを想像していましたが、実際は色も形もさまざまで、いかに自分が思い込みで花を語っていたかを思い知りました。

以来、「椿」に関しては見分ける自信がつきました。
まあ、その分、他の花との違いが曖昧になるリスクもあるのですが…。


人間、意識を向けると見える世界が変わってきます。
いわゆる、「カラーバス効果」って言うやつですね。
特定のことを意識し始めると、それに関する情報ばかりが目に入ってくる、という心理現象です。

花に興味を持って散歩してみると、思いのほか道端にはいろんな花が咲いていることに気づきます。
これまで通っていた道なのに、まるで別世界のように見えてきます。

こういう感覚って、昔はあまりなかったように思います。
最近になってようやく、「知らないものを知る楽しさ」を味わえるようになってきた気がします。

きっとそれは、公務員生活の終わりが見え始めたことと関係しているのだと思います。
長年、税務の世界で生きてきましたが、ここにきてようやく、「税金以外のことにも興味が湧く」余裕が生まれてきました。

たとえば、最近は三国志の漫画を読み始めました。
歴史の人物から生き方や考え方を学ぶことに、こんなに面白みを感じるとは…。
他にも、昔から名前だけは聞いたことがある「古典的名著」にも手を出してみたいと考えています。
ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』、カーネギーの『人を動かす』などです。


以前の私なら、「どうせ自分には関係ない」「知ったところで何になるんだ」と思っていたかもしれません。
でも今は、「ちょっと調べてみようかな」「知ってたら面白いかも」と、自然と思えるようになりました。

花の名前ひとつとっても、それが「生活の中にある楽しさ」や「自分の変化」に気づくきっかけになるというのは、なんだか不思議なものです。
今後は、見たことのない花に出会ったら、写真を撮ってAIに聞いてみようと思っています。
便利な時代ですね。私のように花の名前が全然わからない人間でも、テクノロジーを使えばそれなりに知識が増やせそうです。

30代も終わりが見えてきましたが、新しいことを知る楽しさに気づけたのは、きっと悪くないことだと思っています。
相変わらず妻には花の名前でツッコまれ続けていますが、次は「これはアジサイじゃなくてガクアジサイだよ」と言い返せるようになるのが目標です。

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