人生は選択の連続です。朝、目覚めるか二度寝するか。昼飯にカレーを食べるかラーメンにするか。駅までのルートを変えてみるか、いつも通りに行くか。小さなものから大きなものまで、私たちは日々選択を積み重ね、その結果として「今の自分」がいます。
SF的な視点になりますが、選ばれなかった選択肢の先にもまた別の自分がいるのではないか、と思うことがあります。別の世界線、いわゆる「パラレルワールド」に存在するもう一人の私。もしかしたら、そちらの私はまったく違う人生を歩んでいるのかもしれません。
世界線の向こう側の私
もし、私が今の道を選ばず、国税職員としてそのまま残っていたらどうなっていたでしょうか。今の私は独立に向けて準備を進めていますが、別の世界線では庁局の係長年次を経て、税務署の統括官になっていたかもしれません。その後は庁局で主査、補佐を経験し、最終的にはどこかの税務署長になっていたのかもしれません。
おそらく、毎朝スーツに袖を通し、決まった時間に出勤し、日々の会議や事務処理、調整業務に追われる日々を送っていたでしょう。定年まであと何年か数えながら、「安定」という名の道を歩んでいたかもしれません。でも、時折、ふと思うのです。「もし独立していたら、もっと自由な時間を手にしていたのではないか」と。
SNSで「もし国税に残っていたら俺は統括官、いや、主査、補佐、ひいては税務署長だったかもしれない」などと語っている自分の未来もあったかもしれません。過去にすがりながら「本来の自分の正しいルート」について語るのは、どうにもダサい。いや、むしろそれは税務署長になれなかった世界線の私がつぶやいているのかもしれません。そちらの私はそちらで、「独立していたら、税理士として成功していたかもしれない」と考えているのではないでしょうか。
どの選択も正解になる
過去を振り返ると、選ばなかった道の方が正解だったのではないか、と思うことは誰にでもあります。しかし、それは単なる幻想です。なぜなら、そちらの道を選んでいたとしても、必ずしも幸せになれるとは限らないからです。
どの道を選んでも、それを正解にするのは自分自身しかいません。「もしあの時こうしていたら…」という思考は、選択肢を検討する段階では意味があります。しかし、一度決断した後にそれを繰り返しても、建設的な結論には至りません。たとえば、今の私は「独立しなければ税務署長になれたかも」などと考えますが、もし税務署長になっていたら「やっぱり税理士になっていた方が自由でよかったかも」と思うのがオチです。
未来の自分を正解にするのは、過去の選択ではなく、今の自分の行動です。独立を選んだからには、私はこの道を成功に導かなければなりません。逆に言えば、税務署長になった世界線の私は、その道を成功と信じて生きているはずなのです。
夕焼けとIFの私
ふとした瞬間に、私は別の世界線の自分を想像します。ある夕暮れ時、赤く染まる空を見上げながら思いました。「この景色を、別の私も見ているのだろうか」と。世界線の向こう側で、国税職員として生きている私が、同じように夕焼けを見上げ、違う人生を思い描いているのかもしれません。
彼は彼なりに、日々の仕事に追われ、家族のために働き、定年後の生活を想像しているかもしれません。一方、私は独立して、自分の力で生計を立て、自由を求めて生きていこうと決意しました。どちらが正解なのか、それは誰にもわかりません。ただひとつ言えるのは、どの世界線にいても、自分の選んだ道を正解にするしかないということです。
別の世界線の自分がどんな選択をしたとしても、その選択を羨んでも仕方がありません。むしろ、こう言いたいのです。
「そっちはそっちで頑張れ。こっちはこっちで、やるしかないんだよ」と。
選ばなかった選択肢に思いを馳せるのはロマンがあります。しかし、結局のところ、どの選択をしても、その先にあるのは“自分で決めた人生”でしかありません。
だから、今の自分が歩む道こそが、正解なのでしょう。
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