現代社会では、「承認欲求」という言葉が呪文のように語られています。それは人間の根本的な欲求であり、SNSや職場、家庭、恋愛関係など、あらゆる場面でその存在感を示しています。この承認欲求には格差があると私は感じています。そして、その格差が人々の行動や価値観、さらにはインターネット上の炎上文化にまで影響を及ぼしているのではないでしょうか。
承認欲求が「要らない」人たち
私の身近な友人や知り合いを観察していても、世の中にはそもそも承認欲求が「要らない」と感じる人がいるようです。
これは幼少期の環境や教育が大きく影響しているのかなと思います。親から十分な愛情を受け取り、友人や異性からの肯定的な評価を自然に得てきた人は、「もう十分です」という状態になるのかなと推測しています。
こうした人々は、他人からの「いいね」や褒め言葉に依存する必要がありません。自分の価値を自分で認められるので、SNSに四六時中張り付く必要もなければ、オンラインサロンをはじめとする自己啓発的なコミュニティを立ち上げて「認めて欲しい」という叫びを上げることもありません。彼・彼女らにとって承認は、水道の蛇口をひねれば出てくる水のようなものです。ありがたみを感じる必要すらないのです。
承認欲求に飢えている人たち
一方で、承認欲求に飢えている人々も存在します。
このような人々の世界観は、「自分を誰かが認めてくれることで初めて存在が意味を持つ」というものです。そして、その欲求が満たされない場合、嫉妬や不満が生まれます。その最たる例が、インターネット上でのアンチ行為です。
アンチ行為と嫉妬
インターネットの世界では、何かに成功している人や評価されている人が必ずアンチに狙われます。なぜなら、アンチたちの目には「承認が足りている人々」が輝いて見えるからです。若さ、お金、名誉、権力、そしてフォロワー数――どれをとっても、自分が持っていないものを持つ人が許せなくなるのです。
興味深いのは、まったく無名で何者でもない人には、アンチがつくことがほぼないという点です。考えてみれば当然です。アンチが嫌うのは、その人が「承認を得ている」事実だからです。「嫉妬する価値すらない人」にはエネルギーを割く必要がありません。
承認の通貨化:インフルエンサーという職業
このような承認欲求の格差を象徴するのが、インフルエンサービジネスです。インフルエンサーは、フォロワーから「承認」という通貨を受け取り、それを換金することで収入を得ています。つまり、彼らの存在自体が承認欲求に飢えた人々の需要によって支えられているのです。
フォロワーにとって、インフルエンサーは自分の理想像であり、「こうなりたい」という憧れの対象です。そのため、彼らに対して「いいね」を押し、コメントを送り、時には商品を購入します。それが承認欲求を満たす一環となるからです。一方で、こうしたビジネスモデルが承認格差をさらに拡大しているのも事実です。インフルエンサーが成功すればするほど、彼らを嫉妬する人々が増えていくという皮肉な構図が生まれるのかなと推測します。
私自身の例
ここまで承認欲求について偉そうに語ってきましたが、自分自身に当てはめて考えるとどうでしょうか。もちろん、私自身も承認欲求があり、それは私のSNS活動を振り返るとより明確に見えてきます。
現在、私は元国税職員としての経験を活かし、SNSで「国税職員」という肩書きを明記しつつ、現役の若手職員や国税職場を目指す学生たちに向けた発信を稀に行っています。また、「querie」という質問箱を設けて、具体的な疑問に答える場も設けています。この活動を通じて、国税に興味を持つ方々に有益な情報を提供することが目的ではありますが、裏を返せば、自分の経験や知識を通じて承認欲求を満たしたいという潜在的な願望があるのかもしれません。
ただ、国税職員としてのSNS活動以前に、私は全く異なるテーマでSNSを活用していました。それは婚活アカウントとしての活動です。これもまた、私の承認欲求と深く関係していたのではないかと感じています。
婚活アカウントとしての活動
婚活アカウントを運営していた頃、私はSNS上で婚活に関する情報を共有したり、自分の経験を発信したりしていました。アカウントを通じて、婚活についての共通の話題を持つ人たちとつながり、さらにはオフ会を主催することもありました。婚活アカウントを通じた交流は、思った以上に活発で、DMをいただくことも多く、実際にお会いした方もいました。
特に印象的だったのは、私が年収や学歴といった情報を一切公開していなかったにもかかわらず、「直接会ってみたい」と言ってくださる方が多かったことです。その事実は、私の承認欲求を大いに満たしてくれたのかと思います。SNS上でのやり取りから直接的な人間関係が生まれるという体験は、自分の存在が認められている感覚を強く感じさせてくれたのだと思います。
ちなみに、これは完全に余談ですが、当時DMをくださった方の中に、現在の私の妻がいます。結婚という人生の大きな転機が、婚活アカウントを通じて訪れたという点でも、SNS活動が私に与えた影響の大きさを感じます。
承認欲求の格差と向き合う
私たちはこの「承認欲求の格差」とどう向き合えば良いのでしょうか。
一つ言えるのは、「承認欲求を完全に否定する必要はない」ということです。誰もが程度の差こそあれ、認められたいと思う気持ちを持っています。それを隠すのではなく、自分がどうすれば健康的に満たせるかを考えるべきです。
例えば、SNSでの活動を通じて他者に有益な情報を提供することは、自分の承認欲求を満たしながら社会的な意義も果たす方法の一つです。ただし、他人と比較しすぎず、自分なりの「承認」の形を見つけることが重要です。
終わりに
承認欲求が満たされないことへの嫉妬は、時に他人への攻撃や自分への失望を生みますが、それに気づき、自分自身と向き合うことで健やかな心を保つことができる気がします。
承認欲求の格差に嘆くよりも、「自分が今持っている承認の水準」を冷静に受け入れ、それを少しずつ上げていく努力をすること。それこそが、私が取るべき道なのかもしれません。私も国税職員としての経験を活かしながら、健康的に承認欲求と付き合い続けていきたいと思います。
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