突然ですが、私の下の名前は「直」といいます。
この名前を名乗っていると、「素直そうですね」「正義感が強そう」「真っ直ぐな性格ですね」などと言われることがあります。まあ、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。
少なくとも私は、自分の中でその名に見合うような生き方をしたいと、わりと本気で思っています。
名前のルーツをたどって
私が生まれたのは1986年。
そのころから今に至るまで、「直(なお)」という名前はユニセックスな響きがあり、あまり古臭くもなく、令和の今でも“しわしわネーム”と揶揄されることのない、比較的ラッキーな名前だと感じています。
たとえそれが自分の名前でなかったとしても、私はこの「直」という一文字に、特段悪い印象は持たないと思います。
とはいえ、子どもの頃は当然ながら、名前の意味なんてあまり考えたことはありませんでした。
親に名付けの由来を尋ねた記憶もなく、「なんで“直”なんだろうな〜」と思うことはあっても、特に深く掘り下げることはありませんでした。
それが少しだけ変わったのは、父方の祖父の葬儀に出席したときのことです。
「直」という字の意味
その葬儀の席で、寺の住職の方がこんな話をされました。
「“直”という字は、分解すると“十”と“目”になります。これは、“十の方向に目を配る”という意味だとも解釈できるのです」
仏教的な教義も含まれていたのかもしれませんが、そのとき住職はこう続けました。
「お祖父さまは本当に周囲に気を配り、多くの人に慕われるお方でした。会社名にも“直”の字を使われていましたが、それはまさにご本人の生き様を表していたように思います」
その話を聞いて、私ははじめて「自分の名前って、単なる響きや画数だけでなく、祖父が生きた証のようなものを受け継いでいたんだ」と気づきました。
それ以来、名前の重みを少しずつ意識するようになった気がします。
「名は体を表す」は本当かもしれない
その後、私は国税職員として働きながら、多くの帳簿や申告書に向き合ってきました。
「直」という名前と、税務の仕事とは一見関係がなさそうに思えるかもしれません。
ですが、実際に多くの企業や個人の方と関わる中で、ふと気づいたことがあります。
「税理士こそ、“十の方向に目を配る”ような姿勢が求められるのではないか」と(ちょっとこじつけ感があるかもしれませんが、そこはご容赦ください)。
たとえば、経費の使い方ひとつとっても、表面的な金額や科目だけでは判断できないことが多くあります。
その背景には、経営者の考え方、業界の慣習、果ては家族構成や人生観まで、さまざまな事情が絡んできます。
「これはこういう処理にすべきです」と断言する前に、少し立ち止まって、全体像を見渡す姿勢が必要だと、何度も感じさせられました。
一方向にしか目を向けないのではなく、いろんな角度から見て、考えて、判断する。
それは、まさに「直」という字が教えてくれた姿勢なのかもしれません。
経営理念に込める「直」の精神
私は今年7月に税務署を退職し、税理士として独立する予定です。
ひとり税理士としてのスタート。何の後ろ盾もない分、自分がどんな人間であるかを、言葉や行動で示していかなければなりません。
税理士事務所の名前についてはまだ考え中ですが、経営理念にはこの「直」の字が持つ意味を、しっかりと刻みたいと思っています。
- 正直であること
- 真っ直ぐに向き合うこと
- 広い視野を持ち、思い込みにとらわれないこと
- 顧問先の「今」だけでなく、「これから」を共に見据えること
税金の計算だけであれば、もはやAIのほうが正確かもしれません。
でも、目の前のクライアントが何に悩み、どんなふうに前に進もうとしているのか――それに心を配り、十の方向から見る努力をする税理士が、これからの時代には必要だと私は信じています。
名前に支えられて生きていく
「自分らしく生きたい」と願っている人の力になりたい。
それは、私自身が「直」という名前に支えられ、自分らしく生きようとしてきたからこそ、自然に出てきた思いなのかもしれません。
人によっては、名前なんてただのラベルにすぎないと感じるかもしれません。
でも、私にとって「直」は、人生の羅針盤のような存在です。
迷ったとき、立ち止まったとき、「直のように在るか?」と自分に問いかける。
そんなふうに、これからも生きていきたいと思っています。
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