国税の職場では、特に霞が関で働いていた頃に、ある格言のような言葉をよく聞かされていました。
「完璧な準備をしたのであれば、会議は開始した瞬間にもう終わっている。」
最初に聞いたときは、「いや、そんなことある?」と思いました。会議は話し合うためにやるもので、開始と同時に終わっているなら、それはもう会議の意味をなしていないのでは?と。しかし、最近この言葉の意味が腑に落ちる出来事がありました。
若手調査官にとっての大舞台
私は今、税務署の審理担当をしています。審理とは、税務調査の結果、課税処理が法的に妥当であるかを多角的に検討する仕事で、銀行でいうところの審査部のようなポジションです。
先日、課税処理を行うにあたり、重要事案の審議会が開かれました。これは、若手調査官にとっては、署の幹部に直接調査内容を説明する貴重な機会です。もちろん、簡単な場ではありません。ここでうまく説明できるかどうかは、今後のキャリアに大きな影響を与えるかもしれません。知らんけど。
私は審理担当として、審議会の準備を進める調査官にアドバイスをしました。資料の構成、ポンチ絵の見せ方、法令解釈の説明方法まで、細かく詰めていきました。特に、法令に則して書くべき部分では、ポンチ絵とはいえ正確に描き、曖昧な「等」という言葉を使う場合には、その「等」が何を指すのか説明できるように準備しました。
そうして完成した資料は、だいぶ細かいアドバイスまでしたにも関わらず、短時間で素晴らしく仕上がっていました。この時点で「もう勝ったな」とすら思えました。これだけ準備したのだから、もう大丈夫だろうという確信もありました。
そして迎えた審議会
審議会当日、若手調査官は淡々と説明を進めました。説明の途中、幹部たちは終始うなずきながら聞いており、驚くほどスムーズに進行しました。そして説明が終わった瞬間、「はい、オッケー!ハンコ押させてください!」と言わんばかりに勢いよくハンコを押していただきました。
「こんなに褒める?」と思うほど、幹部たちは説明も資料も高く評価し、会議はあっという間に終了しました。
そう、この瞬間に、かつて霞が関で聞かされた言葉の意味をはっきりと理解しました。
「完璧な準備をしたのであれば、会議は開始した瞬間にもう終わっている。」
霞が関での経験と今回の気づき
霞が関時代、会議の前日は非常にピリピリしていました。しかし、当日になると空気は一変し、淡々と進んでいく。会議中、説明者は落ち着いていて、まるでシナリオ通りに進んでいくように流れるように終了する。これが何を意味するのか、当時の私は深く考えていませんでしたが、今ならはっきりとわかります。
本当に重要なのは、会議の「場」ではなく、それまでの「準備」なのだ。
今回の若手調査官の経験は、彼にとっても大きな学びになったと思います。そして、私自身も改めてこの格言の重みを実感しました。
若手が成長する場としての会議
この経験を通じて思うのは、会議は単なる決定の場ではなく、若手が成長する場でもあるということです。完璧に準備するというのは、ただ資料を作るという意味ではなく、「自分の頭で考え、相手に伝わるように整理する」というプロセスそのものが大事なのです。
そして、そのプロセスを徹底的にやり抜いたとき、会議はただの確認作業に過ぎなくなり、開始した瞬間に終わる。
また、準備を極めることで、説明者の自信が生まれるという効果もあります。実際、今回の若手調査官も、多少は緊張していましたが、万全の準備を終えた後は驚くほど落ち着いていました。こうした経験は、彼の今後の業務にもきっと活きることでしょう。
この経験を活かして、これからも「会議が終わった状態で会議に臨む」くらいの気持ちで仕事をしていきたいものです。そして、後輩にもこの考え方を伝え、実践してもらえればと思います。
まぁあとちょいで私は職場を去りますが。
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