「本当に頭のいい人は難しいことを簡単に説明できる」という考えを耳にすることがよくあります。この言葉には一理あるように感じるものの、私自身は必ずしもそうだとは思いません。「本当に~なら~するはず」というネットミームは少々主語がデカすぎるように思えます。世の中には、複雑さをそのまま受け止めなければ理解が難しいものがあるように思います。
複雑さを単純化することの限界
世の中の「複雑さ」にはさまざまな段階がありますが、ある程度を超えると、それを単純化することには限界があると感じます。たとえば、法人税法の規定を説明する際、「法人が得た所得に一定の税率をかけて税額を計算する」といった表現に要約することは可能です。しかし、実際には課税所得を計算するための損金算入要件や、租税特別措置など、多くの細かなルールが存在します。これらを正確に理解するには、前提知識や規定の文脈を把握する努力が必要です。
こうした複雑な規定を単純化して説明することは、場合によっては誤解を生むこともあるように感じます。「簡単に説明する」こと自体は有用な場合もありますが、それだけではその背後にある文脈や意図を十分に伝えられないことがあるように思えます。
「分かりやすく」と「正確さ」のバランス
また、物事を「簡単に説明する」ことが求められすぎると、本来の意図や本質が失われてしまうことがあるように思います。たとえば、会計処理について「利益は収益から費用を引いたもの」と説明することはできます。しかし、具体的な会計基準や原則に従って正確に計算するには、収益認識の基準や減価償却の手法、引当金の計上基準など、多くの詳細なルールや理論を理解する必要があります。
会計原則を無視して「分かりやすい」説明だけで理解しようとすると、結果的に誤った処理を行うリスクが高まります。つまり、「簡単さ」が求められるあまり、正確性や細部への配慮が失われてしまうことがあるように思うのです。
具体と抽象を行き来する理解のプロセス
私が感じるのは、複雑な物事を理解する際には、「具体」と「抽象」を行き来するプロセスが重要だということです。たとえば、新しい会計基準を学ぶ際、まずは具体的な適用例を見て大まかな仕組みを把握します。その後、基準全体の抽象的な理念や原則を学びます。そして、それを別の具体的な場面に適用してみる。こうしたプロセスを繰り返すことで、少しずつ理解が深まるように感じます。
このように、具体的な例を通じて抽象的な概念を学び、さらにそれを別の文脈に適用することで、「本質」が少しずつ見えてくるように思うのです。単純に「簡単に説明してよ」と求めるだけでは得られない、深い理解がそこにはあるように感じます。
複雑さをそのまま受け入れる意義
複雑なものを複雑なまま理解しようとする姿勢は、時に疲れることもありますが、重要な意義があると私は思います。特に、会計や税務の分野では、個々の要素をそのまま理解しなければ正確な処理が難しい場面が多々あります。
もちろん、全ての人が専門的な知識を深く理解する必要があるわけではないでしょう。しかし、少なくとも「分からないもの」に対して敬意を持ち、その複雑さを安易に単純化しようとしないことは大切だと感じます。そのような態度が、結果的に物事の本質を見極める助けになるように思います。
終わりに
複雑なものをそのまま理解する姿勢は、単純な説明では見えてこない本質をつかむための鍵になると感じています。世の中の多くの事柄は、「簡単に説明する」だけでは伝わらない背景や細部に支えられています。それらを一つひとつ丁寧に紐解くことで、初めて本当の理解に近づけるのではないでしょうか。
次に何か複雑な問題に出会ったとき、その複雑さを敬遠せずに向き合ってみると、新しい視点や発見が得られるかもしれません。少なくとも私は、そのプロセスこそが学びの醍醐味だと感じています。
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