私の好きな匂いと、他人の価値観を剥がす話

みなさんは、「好きな匂い」ってありますか?
柔軟剤の香りとか、焼きたてのパンの匂いとか、香水とか。
世の中には「いい匂い」とされるものがあふれていますが、今回は、
そんな王道を軽やかにスルーして、自分の中にある“好きな匂い”について語ってみようと思います。

自分語りになりますが、どうぞお付き合いください。


まず一つ目。
これは結構同意してくれる方もいるかもしれません。

石油ストーブの匂い。

これを嗅ぐと、私は埼玉県の北のほう──茨城との県境にある、田んぼだらけの田舎町を思い出します。
母が子どもの頃に住んでいた旧家がそこにありました。私の祖父母が暮らしていたその家は、歴史ある木造の立派な平屋で、冬になると石油ストーブが活躍していました。

ストーブの上にはやかん。常にシュンシュンと音を立てながら湯気を上げていました。
たまに餅を焼いたりもしていて、磯辺焼きの香りが部屋中に広がっていた記憶があります。
その匂いに包まれながら、炬燵でみかんを食べたりして過ごし、今思えば、なかなか教科書通りの「日本の冬」だった気がします。

旧家はもう取り壊されてしまって、今はその跡地に伯母と従兄弟が建てた新しい家が建っています。
だから、あの匂いと空気感をセットで感じることは、もうできません。

ただ、たまに歴史ある飲食店や旅館などで、石油ストーブに再会することがあります。
それが点火された瞬間、ふっと時間が巻き戻る感覚になるのです。
あの頃、旧家の応接間に漂っていた、ちょっとホコリっぽくて木材の香りがまざった空気。
そういう「匂いの記憶」は、なんともいえない安心感をもたらしてくれます。


次に、ちょっと変わったところを挙げると、

空っぽの冷凍庫、あるいはドライアイスの匂い。

…と言っても、あれってそもそも「匂い」なんでしょうか。ドライアイスは本来、無臭のはずです。
でも、冷凍庫を開けたときにふわっと広がる、あの“冷たさの香り”みたいなものがあるじゃないですか。
あれが、なぜか昔から好きでした。

漫画家の清野とおるさんも、著書の中で「空の冷蔵庫の匂い」が好きだと書いていたのを見つけたとき、
心の中で「わかるよ…!」と強くうなずきました。同志発見の瞬間でした。

もしかしたら、新品の金属の匂いとか、冷気の清潔さとか、そういう要素が
「非日常」や「無菌的な世界」と結びついて、私にとってはポジティブな感覚を呼び起こすのかもしれません。

冷たくて、静かで、何もない場所。
ちょっと空虚だけど、そこには何かを詰める余白があって、妙にワクワクするような。


少し話は逸れますが、2017年ごろ、X(旧Twitter)で「アバクロのFIERCEという香水が女性ウケする」という話題がプチバズしていました。
こういうの、つい気になってしまうのが人の性です。例に漏れず、私も秒でお店に向かいました。

実際に使ってみると、たしかに女性から「あっ、アバクロつけてるでしょ?いい匂いだよね」と言われることも多く、なんとなく嬉しかったものです。

でも、ふと気づいたんです。
「あれ、自分ってこの匂い、本当に“好き”で使ってるんだっけ?」と。

もちろん、FIERCEは今でも「いい香り」だと思っています。商品としてもとても優秀です。
でもそれは、「他人がいいと言うから」「流行っているから」という理由で手に取ったものであって、
私の中の“冷凍庫の匂い”とか“石油ストーブの思い出”とはまったくベクトルが違う感覚なのです。


思い出すのが、水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ0』という本に出てくるガネーシャの言葉です。

「今、自分の頭と心には『他人の好み』がべったりと貼りついてもうてるからな。でも、それを少しずつ、少しずつ、剥がしていって、自分がほんまに好きなもんを掘り起こすんや。そうすれば、自分が本当にやりたいこと――夢――も、おのずと見えてくるからな」

この言葉は、どこかで「好きな匂い」にも通じている気がします。

「いい匂い」という評価はあっても、「自分が好きな匂い」とはまた別物です。
世間や他人の価値観に頼っているうちは、「自分らしさ」の輪郭が曖昧なままです。
けれど、たとえば石油ストーブの匂いや、空の冷凍庫の匂いが妙に落ち着くと感じる自分がいる。
それに気づけた瞬間こそが、ちょっとした「自分探し」になっていたりするのかもしれません。


好きな匂いをたどることは、自分を知るヒントになる。
そしてそれは、「何がしたいか」「どこに向かいたいか」を見つける小さな道しるべにもなり得るのです。

みなさんにも、誰かに説明するのが少し照れくさいような、でも確かに「好き」と思える匂いがあるのではないでしょうか。

それが何なのか、ちょっと思い返してみると、案外、自分の輪郭が見えてくるかもしれません。

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