私は、いわゆる「和菓子通」というタイプではありません。洋菓子の方が馴染みがあるという方も多いかもしれませんが、私もその一人で、大福に関しても「豆大福」くらいしか食べたことがありませんでした。そんな私の前に、ある日「いちご大福」がやってきました。
きっかけは、妻が近所の和菓子屋さんで買ってきてくれたことです。たしか3年ほど前のことだったと思いますが、その日のことはなぜか今でも鮮明に覚えています。
「おいしそうだったから、あなたの分も買ってきたよ」と差し出されたのは、ぷっくりと丸くて、ほんのり赤みがかった大福。私は素直に「ありがとう」と受け取り、さっそくかぶりつきました。そして、ひと口食べた瞬間に、衝撃が走りました。
……イチゴが、入っているんです。リアルな、つぶつぶのついた、あのイチゴが。
正直に告白しますと、私は「いちご大福」というのはてっきり「イチゴ味のあんこ」的なものが入っていると思っていました。ストロベリーフレーバーのクリーム的な何か。ピンクっぽい見た目から、なんとなくそう想像していたのです。なので、中から本物のイチゴが出てきたときには、本気で驚きました。
「見て!この大福、本物のイチゴが入ってるよ!」
そう言って私は、ちょっとした発見を共有するようなテンションで妻に報告しました。
しかし妻は、特に驚いた様子もなく、むしろ不思議そうにこちらを見ていました。
「うん、いちご大福って、そういうものだけど?」
私の中では、「味がイチゴ」=「いちご大福」という思い込みがあったのです。実際には、あのモチモチの中に本物の果実がゴロンと入っていて、あんことの相性も抜群だというのに。知らなかったというより、考えたこともありませんでした。
そしてこの出来事をきっかけに、「自分の常識」がどれほど偏っていたのかを実感することになりました。
「いちご大福に本物のイチゴが入っている」——これって、多くの人にとっては「常識」かもしれません。でも、私にとっては「非常識」だったわけです。そして、それを口にしたとき、妻と軽く話がかみ合わなかった。この小さなズレが妙におかしくて、そして、ちょっとだけ考えさせられました。
日々の生活の中で、こうした“ズレ”って、きっとたくさんあるのだと思います。
たとえば、コンビニのレジ袋が有料だと知らなかった年配の方が、袋をもらえずに少し困っていたり。駅の改札で交通系ICカードを持っていない人が、タッチするところを探して右往左往していたり。逆に、自分が当然のように知っている知識を、誰かが初めて知ったときの顔を見ると、「あ、これって人によって“常識”じゃないんだな」と気づかされます。
私は税金の仕事をしていますが、税金の世界も同じです。普段、確定申告を当たり前のようにこなしている人でも、初めて申告をする人にとっては、用語ひとつとってもチンプンカンプンということがあります。「源泉徴収ってなんですか?」「医療費控除って、何が対象になるんですか?」という質問を受けたときに、最初は「このくらい知ってるだろう」と思ってしまいがちです。でも、少し立ち止まって、自分が“非常識側”だった過去を思い出すと、対応の仕方も変わってきます。
いちご大福事件は、私にとってちょっとした笑い話であると同時に、日々のコミュニケーションにおける大切なヒントをくれました。自分にとっての“普通”が、他人にとっての“驚き”かもしれない。逆もまた然り。
それ以来、私は誰かと話すとき、少しだけ「自分が知っていること」を疑うようになりました。といっても、四六時中ではありません。ですが、「あれ?これって、みんなそう思ってるのかな?」と一瞬考えるだけで、会話がほんの少しスムーズになったり、相手が安心してくれたりすることがあります。
ちなみに、いちご大福は今でもたまに食べます。最初はびっくりしましたが、慣れてみるとあの甘酸っぱさとモチモチ感の組み合わせはクセになります。
食べ物ひとつで世界が広がる。そう思うと、人の“非常識”も、なかなかに奥深くて面白いものだなと感じるのです。
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