先日、ひすいこたろうさんの『明日死ぬかもよ?』という本を読みました。いや、正確には聴きました。
というのも、以前、支店MJのモーニングルーティンで紹介したとおり、私は耳から情報を取り入れる派で、通勤時間や寝る前はAmazonのAudibleで本を聴くのが習慣になっています。AirPods Proは耳に埋め込みたいレベルで愛用中です。さらに最近では、枕元のAlexaを使って「寝る前に古典的名著を聴く」という新たな試みも導入しています。まるで知的な子守唄です。難し過ぎてすぐ寝かしつけられてしまいます。
さて、『明日死ぬかもよ?』の話に戻ります。
「はい、あなたはたった今死にました。」(え?)
この本は、「明日死ぬかもしれない」と思って、後悔のない生き方をするための問いを読者に投げかける内容です。
聴き始めてすぐに「はい、あなたはたった今死にました。」と宣言され、思わず「え?」と声が出ました。こんなに冒頭から驚かせる本があるでしょうか。
ただ、内容自体は非常に良かったです。「もし今日が人生最後の日なら?」という視点で、自分の生き方を見つめ直すような構成になっています。
この本を聴き終えた瞬間、私の脳裏に浮かんだのが…
スーパーファミコンの名作RPG『天地創造』のエンディングでした。
『天地創造』ってどんなゲーム?
『天地創造』は1995年にエニックス(現スクウェア・エニックス)から発売されたアクションRPGです。地球の創造をテーマにした壮大な物語で、プレイヤーは主人公アークを操作し、滅びた世界を再生させていきます。
戦闘あり、謎解きあり、街を発展させる要素ありと内容は濃いのですが、何よりもストーリーが深く感動的なのが特徴です。
特にエンディングは衝撃的で、子どもだった当時の私には少し理解しきれませんでした。ただ、大人になった今になって改めて思い出すと、ものすごく哲学的なラストだったのだと実感します。
アークの「最後の一日」
(ここからエンディングのネタバレを含みます)
物語の最終盤、アークは「天地創造」という使命を果たしますが、自分自身が消滅する運命を迎えます。
しかし、創造を司るライトガイアが、「せめて最後の一日だけでも元の世界で過ごしなさい」と、アークに猶予を与えます。
気がつくと、アークは、消滅したはずの故郷の村(オープニングの村)に戻っています。死んだはずの幼なじみ・エルもいます。村人たちも普段通り接してきます。ただし、長老(=ラスボス)の姿だけがありません。
アークは与えられた時間を大切に過ごし、最期の夜を迎えます。
(地裏の)エルは言いました。
「私たちがもし深い絆で結ばれていたのなら、きっと来世でもまた逢えるよね。」
やがて、アークは消え去ります。
しかし、消滅の瞬間、アークは夢を見ます。
それは「渡り鳥になって大空を飛び回る夢」でした。
世界を見下ろし、広がる緑、舞う鳥、歩く獣、発展する人間たちの文明…そして最後に、森林の奥深くにあるある村へと向かい、意識が途絶えます。
その後、場面は現代のストックホルムへ。(地表の)エルの住む家に、深夜、突然の来客が訪れます。
時計は0時を回っています。
エルは、ドアを開けます。
(ここでゲームはおしまい)
「最後の一日をどう生きる?」
このエンディング、まさに『明日死ぬかもよ?』のテーマそのものではないでしょうか。
アークは、たった一日だけ与えられた時間を大切に生き、エルと最後のひとときを過ごしました。
もし明日死ぬとしたら、自分はどう生きるでしょう。
毎日がただのルーティンになっていないでしょうか。
エルの「深い絆で結ばれていたのなら、また逢えるよね」という言葉も、なんだか胸に響きます。死んで終わりではなく、その先があるかもしれない…そんな希望すら感じさせるラストでした。
今日をちゃんと生きよう
『明日死ぬかもよ?』を聴いて、『天地創造』のエンディングを思い出し、改めて考えました。
明日がある保証なんてありません。だからこそ、今日をちゃんと生きることが大事なのだと思います。
とはいえ、そう思っても日々の生活は忙しく、結局、仕事をして、帰って、ご飯を食べて、寝て…の繰り返しになってしまいます。
だからこそ、意識的に「今日を楽しむ」ことを忘れずに過ごしたいです。
『天地創造』のアークのように、最後の一日を悔いなく過ごせるように。
とりあえず私は、今夜もAlexaで名著を聴きながら寝かしつけられることにしようと思います。(え?)
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