来たる令和7年4月12日(土)、東京都パワーリフティング選手権大会が開催されます。会場は錦糸町のひがしんアリーナ。私は66kg級にエントリー済です。同じジムからは74kg級で出場する選手もおり、私の妻を含むジム仲間たちがセコンド枠で応援にかけつけてくれる予定です。
ところで、最近ちょっとした噂を耳にしました。私が大会に出場するという話を職場の上司に伝えたところ、「んじゃ観に行く」とおっしゃったそうで、それだけなら微笑ましい話だったのですが、なぜかその話が部署内に広がり、上司は同じ部署のメンバー全員に観戦を誘っているとか。後輩から「先輩、みんなで応援に行くって話になってますよ」と聞かされたときは、さすがに肘の震えが止まりませんでした。なにしろこの競技、ベンチプレスで3回とも失敗すれば“記録なし”ですから。応援団の目前で空を仰ぐ羽目にだけはなりたくありません。
さて今日は、そんなパワーリフティング大会を目前に控えた私が、筋トレとの向き合い方、つまり“なぜ私は筋トレを続けるのか”という根っこの部分について、浪人とか赤点補習とか、そんなちょっと変な切り口で語ってみようと思います。
筋トレと私の関係性を一言で表すとすれば、それは「浪人」と「大学受験」の関係に近いです。あるいは「赤点」と「放課後の補習」。どちらにせよ、ちょっと苦くて、でもやらずにいられない何かがある。
大学時代、私はパワーリフティング部に所属していました。入学当時は体重54kgのヒョロヒョロの陸上部上がり。そんな私がトレーニングを積んでいく中で少しずつ成長し、大学3年の春には60kg級で全日本学生選手権に出場しました。しかし、秋には67.5kg級に階級を上げて臨んだ大会でベンチプレスを3連続で失敗。記録なし。通称「三タテ」。言葉にならない感情だけを引きずって、大学3年を終えました。
4年の春は公務員試験の勉強を優先し、関東学生大会は断念。最終的には秋の大会で60kg級優勝という形で引退となりましたが、その春の大会、あれに出ておけば──という後悔は、アラフォーになった今でも心の隅に棘のように残っています。
そんな過去の記憶も風化しかけていたある日、東京国税局に勤めていた頃、東銀座の職場近くにエニタイムフィットネスができたのをきっかけに、久々にトレーニングを再開しました。気づけばベンチプレスは日常となり、筋肉痛の程度で日々の満足度が変わるようになっていました。
そして思いました。「もう一度、パワーリフティングの大会に出よう」と。
それは、単なる思い出づくりとか挑戦というより、“やり残した課題に向き合う”ような感覚に近かったです。浪人して再び試験に挑むような、あるいは赤点を取ってしまい放課後に誰よりも遅くまで教室に残って補習を受けるような、そんな感じです。
大学4年の引退時に、私はエクイップ(専用スーツ着用)でトータル480kgを記録しました。スクワット175kg、ベンチプレス102.5kg、デッドリフト202.5kg。この記録を、今回はノーギア(RAW:ニースリーブあり)で超えることが目標です。
正直言って、現実的にはなかなか厳しいラインではあります。ですが、ここを目指すこと自体が、過去の自分へのひとつの決着であり、あの時味わった悔しさや情けなさと真正面から向き合う行為なのだと思っています。
減量も進んできました。現在の体重は大会階級の66kgを少しオーバーしている程度で、ここから水分調整を含めて最終的な調整に入っていきます。糖質を摂るタイミングを慎重に見極めつつ、トレーニングもピーキングに入りました。スクワットとデッドリフトは回数を減らし、フォームの最終確認とメンタルの安定に重点を置いています。食事は鶏むね肉と卵と少量の米、たまにご褒美のプロテインクッキー。糖質制限の副作用で、最近は夢の中でも寿司を握っていたりします。
それでも、です。ここまできたら、あとはもう「やるか、やらないか」ではなく「やる」しかないのです。筋トレは時に孤独ですが、同じジムの仲間や応援してくれる妻、職場の上司(そしてなぜか部署の人たちが何人か)という謎の応援団がいることで、今回は少しだけ勇気が湧いています。
願わくば、あの日失敗したベンチプレスを、今度はしっかり挙げて、「見てくれた人の記憶に残る良い試技だった」と思ってもらえたら──それだけで満足です。
そして密かに、私の中ではこの大会を、過去の自分からの卒業試験だと思っています。浪人生の私は、ようやく試験会場に向かう準備が整いました。
あとは、落ちないことを祈るだけです。何しろベンチプレスで落ちたら、本当に記録が残りませんから。
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