子どもが生まれると育児が始まります。育児の準備をする中で、最近は「愛着の形成」や「学習性無力感」に関心を持つようになりました。大人の無気力や自己肯定感の低さといった話題は、つい性格や気持ちの問題として語られがちですが、もう少し手前、乳幼児期の経験に遡って整理できる部分があるのかもしれない、と感じています。
この記事は専門的な解説ではなく、自分なりの理解の整理です。極端な例を面白がるのではなく、「子どもに何を学習させない方がよいか」という観点で書きます。
「泣けば返ってくる」が最初の学習になる
赤ちゃんは言葉が使えません。お腹が減った、眠い、不快だといった状態を、泣くことで外に伝えます。すると親が抱っこして落ち着かせ、授乳やミルク、おむつ替えなどで状態が改善されます。
この繰り返しで赤ちゃんが学ぶのは、「自分の発信には意味がある」「外の世界は反応してくれる」という基本的な感覚だと思います。泣くこと自体が目的ではなく、泣くという行動がきっかけになって、状況が良い方向に動く経験が積み重なる。これが、後の「自分は状況を変えられる」という感覚の土台になる、という理解です。
逆に、発信しても反応が返ってこない状況が続くと、「何をしても無駄だ」という学習が起こりうる。ここが学習性無力感につながるのではないか、と考えています。
学習性無力感は「どうせ変わらない」を覚えること
学習性無力感の例として、動物実験の話がよく出ます。逃げ道がある状況では回避行動を取れるのに、何をしても避けられない経験が続くと、次に回避できる状況になっても動けなくなる、というものです。行動と結果が結びつかない状態が続くと、「努力しても無意味」という結論に学習が固定されてしまう、という理解です。
この構造を家庭環境に当てはめると、乳幼児期に「訴えても返ってこない」経験が積み重なることは、かなり重い意味を持ちます。本人に選択肢がない時期だからこそ、経験がそのままデフォルトの世界観になってしまう可能性がある。だから「無力を学習させない」ことが大事なのだろう、と思います。
愛着形成と「心の安全基地」が探索の出発点になる
愛着は、一般に生後しばらくしてから形成されると言われます。愛着が安定して形成されると、子どもは不安や恐怖を感じたときに戻れる場所、つまり「安心して頼れる関係」を持てるようになる。これが心理学では「心の安全基地」と呼ばれる概念だそうです。
心の安全基地があると、子どもは外の世界に出て探索できます。怖くなったら戻れる、助けを求められる、受け止めてもらえる。そういう前提があるから、未知のことに挑戦できる。裏を返すと、心の安全基地が脆弱だと、探索そのものが脅威になりやすく、結果として萎縮や回避が増える、という整理になります。
無気力な大人の背景を考えると、育児は軽く扱えない
無気力・無感動な大人は一定数いると思っています。もちろん原因は一つではなく、体質、環境、出来事、社会的要因など複合的かと思います。ただ、幼少期の愛着形成が影響しうると考えると、育児の重みが増して見えます。
幸い自分は、少なくとも自覚としては「無気力・無感動」にはなりませんでした。前向きに物事を捉えやすく、人生観としても比較的楽しく生きられている感覚があります。そうだとすると、遡って見たときに、両親が自分にしてくれた関わり方が、愛着形成という意味で良い方向に働いていた可能性はあります。
だからこそ、両親に「何を意識して育てていたのか」「当時どんな判断をしていたのか」を聞いてみたいなと思っています。育児は正解が見えにくい分、再現性のある要素が少しでも拾えるなら、次の世代に渡せるものが増えるはずです。
自分の子どもに対しても、特別なことをしたいというより、「発信が無意味だと学習させない」「戻れる場所があると感じてもらう」という基本だけは外さないようにしたい。最近はそう考えています。


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