忘年会で要らんこと言わないでよかった

生活

先日、通っているジムの忘年会に参加しました。毎年恒例のイベントですが、今年は15人ほどのこじんまりとした会でした。それでも、高校生・大学生といった若い世代から、社会人、さらには60代の方まで、男女問わず幅広い年齢層が集まっていました。普段はトレーニングの時間帯や生活リズムが違うため、ジムで顔を合わせても長く話すことはあまりありません。それでも同じ空間を共有する仲間としてテーブルを囲むと一体感が生まれます。

こうした場を見ると、ジムそのものが「地域のゆるやかなコミュニティ」として機能しているのだと感じます。日常では交わることのない人同士が、同じ目標や習慣を通じて緩やかにつながり、結果としてひとつの社会資本になっている。独立して一人で仕事をしていると、こういう場所に所属していることがどれほど貴重か、改めて意識させられますね。

若い世代の「経験への投資」を垣間見る

忘年会の席では、自然と若者の恋バナ(死語?)が耳に入ってきます。今回、一番印象に残ったのは22歳の男性との会話でした。彼には彼女がいて、最近は二人でドライブに行くことが多いと話していました。そういえば彼は最近、大きめの車を買ったばかりだという話も思い出しました。

そのとき、最初に頭をよぎったのは「車は維持費がかさむけれど大丈夫なのだろうか」という、職業柄の心配でした。一人暮らしで若い年代のうちから車を所有することは、それなりに負担もあります。つい収支を気にしてしまうのですが、こうした視点は年齢と立場が生んでしまうものであり、本人に向けて口にすべきではありません。余計なお節介、純然たる老害ムーブであるため、心の中だけに留めました。

しかし帰り道、ふと思いました。彼が語った「自分の車で恋人とあちこちに出かける時間」というものは、若い時期にしか手に入らない種類の経験です。30代・40代になった今の自分が同じことをしようとしても、いくらカネを積んでも再現できるものではありません。いわば時間が生み出す一度きりの価値で、お金があっても取り戻せない類いのものです。

そう考えると、車の購入は「経験を買っている」とも捉えられます。若いうちにしか得られない経験のリターンは数字で測ることはできませんが、人生全体を見れば非常に大きい。むしろ、彼は自分に必要なものを的確に選び取り、その対価としてお金を払っているだけなのだと感じました。
この経験は「記憶の配当」として今後の人生において、「あの時楽しかったな」と思い返すことができるものかと思います。

数字的正しさだけでお金を見るもんじゃない

若い頃からお金を貯めることや増やすことに熱心だと、どうしてもコスパ思考になりがちです。もちろん、その視点自体は悪くありません。ただ、資産形成の観点を優先し過ぎると、若い時期にしか味わえない経験の価値を見落とすことがあります。

もし私があの場で、維持費や支出の合理性を持ち出して説教めいたことを言っていたら、それは「正しさ」ではなく、若さに対する嫉妬や未練の混ざった講釈になっていたでしょう。そうした視点に陥ること自体、ダサいおじさんです。

経験は数字では評価しづらく、計算表にも載りません。しかし人の価値観や人生の厚みは、こうした経験の積み重ねによって形成される部分が少なくありません。その意味では、彼の選択は極めて自然で、本人にとっても長い目で見て良い経験になっているのだと思います。

コミュニティに属することの効用

私は禁酒中だったので終始ウーロン茶でしたが、それでも忘年会は十分に楽しい時間でした。独立すると、日中はどうしても一人で仕事を進める時間が長くなります。そこで感じる孤独感もありますが、こうして別のコミュニティに所属すると、仕事とはまったく異なる刺激を受けられます。

人との会話の中で、自分が無意識に偏らせていた視点や固定観念に気づくことがあります。今回の「若さという資源の捉え方」も、ジムの若いメンバーがいなければ絶対に思い至らなかったはずです。年齢も生活背景も違う人たちが同じ場に集まること自体が、一つの学びの機会になっているのでしょう。

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