今、府中市に自宅兼事務所を構えた理由はいくつかありますが、その中でも比較的大きな要因のひとつが、妻の実家が府中市内にあるという点です。
よく聞かれるのは、「子どもが生まれたら手伝ってもらえるからですか?」という理由ですが、それだけではありません。私の中では、「妻にとっての逃げ場が近くにあったほうがいい」という考えのほうが大きかったように思います。
実家は「支援」よりも「安心」の場所
私自身もそうですが、妻にとっても実家は、とても安心できる居心地のいい場所です。
何か特別な用事がなくても、「帰れる場所がある」というだけで、心の余裕はずいぶん違います。
実家が近いからといって、必ずしも頻繁に頼る必要はありません。
むしろ、「いざとなったら戻れる場所がある」という事実そのものが、日常生活の支えになっていると感じています。
これは、子どもの面倒を見てもらう、家事を手伝ってもらう、といった実務的な話とは少し違います。
精神的な意味での逃げ場、心の安全地帯としての役割です。
子どもが生まれる前だからこそ考えておきたいこと
私はまだ子どもを育てた経験がありません。
ただ、子どもが生まれる前と、生まれた後では、夫婦関係を継続していく難易度がまったく違う、という話はよく耳にします。
今は夫婦仲が良好だと、私は勝手に思っています。
ですが、それがこの先もずっと同じ形で続くかどうかは、誰にもわかりません。
仕事がうまくいかず追い詰められることもあるでしょうし、余裕を失って、無意識のうちにきつい言動を取ってしまう可能性もあります。
極端な話をすれば、モラハラ的な振る舞いをしてしまう未来が、完全にゼロとは言い切れません。
そうなったとき、妻には無理をせず、実家に逃げてほしいと思っています。
「逃げる」という選択肢を肯定したい
「逃げる」という言葉には、どうしてもネガティブな響きがあります。
ですが、私は「逃げ場があること」は、むしろ健全な状態だと思っています。
逃げ場がない状況は、我慢するしかない状況です。
我慢が積み重なると、関係性は確実に歪んでいきます。
一度距離を置く。
物理的にも、心理的にも、少し離れる。
それが結果的に、関係を立て直す時間になることもあります。
逃げ場があるからこそ、無理をしすぎずに済む。
そう考えると、実家が近いという環境は、リスクヘッジのひとつだと捉えています。
メタ認知の必要性
自分自身の振る舞いについて、客観的に気づくことは簡単ではありません。
特に家庭の中では、フィードバックをくれる存在は、ほぼ妻だけです。
だからこそ、自分がどう見えているか、どう振る舞っているかを、ある程度は自分で点検する必要があると思っています。
感情的になっていないか、余裕を失っていないか、相手を追い詰めていないか。
完璧にできるわけではありませんが、「自分は常に正しい」と思わない姿勢だけは、持ち続けたいと考えています。
逃げ場があるから、仲良くやっていける
矛盾しているようですが、逃げ場があるからこそ、普段は仲良くやっていけるのだと思います。
追い詰められた状態で無理に続けるよりも、余白があるほうが、関係は長持ちします。
これから子どもが生まれ、生活は大きく変わっていくのだと思います。
その中で何が起こるかはわかりません。
それでも、「逃げられる場所がある」という前提があるだけで、少し安心して前に進める気がしています。
今日は妻と一泊二日で鬼怒川温泉に来ています。旅館の温泉やサウナに浸かりながら、日常から少し距離を置いた空間で、こうしたことを改めて考えていました。特別な結論が出たわけではありませんが、環境が変わると、普段は意識しない前提や価値観に自然と目が向くものだなと思います。
今後も、できるだけ穏やかに、無理のない関係を続けていきたいものです。

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