紙の日記帳とブログの役割

考え

本ブログとは別に、紙の日記帳を書いています。ブログを書く習慣が付く前から続けているので、時系列としては日記が先です。使っているのはモレスキンのラージサイズデイリーです。

紙の日記に何を書くかは、あえて決めていません。決めないのに書くことに困らない、というのが日記の不思議なところです。朝に書くことが多いので、その日の気分を書いたり、今日の「カエル」(一番頑張りどころのやるべきことを勝手にそう呼んでいる)を書いたりします。書くことがなければ、あらかじめ定めている「5年以内目標」と「1年以内目標」を模写することもあります。

後述しますが、この「模写」もバカにできないなと思っています。生成AI全盛期における自分なりの逆張りです。

ブログに書けない感情は、紙に逃がしておく

紙の日記には、本ブログでは書けないような感情も書きます。どす黒い感情、と言うと大げさですが、少なくとも「人に見せる前提では書けないこと」は確実にあります。

自分は前向きで明るい人生観だと思っていますが、それでも恥の多いことは出てきます。そういうものが出てくるのは、人間として自然だと思います。むしろ、そういうものを「ないこと」にしてしまうと、後から別の形で噴き出す気がします。

紙の日記の良いところは、見せない文章でいられることです。書いた瞬間は支離滅裂でもいいし、結論がなくてもいい。読み返して赤面するような内容でも構わない。この「構わなさ」が、感情の整理に効きます。

目標を模写して、表層意識を潜在意識へ

日記に目標を模写する理由は、自分の中でははっきりしています。表層意識を、潜在意識へ溶け込ませる作業だと思っています。

人間、当初立てた誓いや願いは、粉々になってしまうことも多くあります。例えば会社で上司にガツンと怒られた瞬間に砕け散る。嫌な出来事が続いたり、疲れて判断が雑になった。そういう過程で「なかったこと」になってしまう。

だから、表層意識を、その場所に留めておかずにもっと中に入れておく必要がある。この作業が地味に大変です。模写はそのための手段だと割り切っています。新鮮さは減って作業みたいになりますが、目的は「定着」なので、それで良いと思っています。

定着すると、認知的不協和から悪習慣が減る

この「中に入れる」作業が進むと、体感として変化が出ます。例えばAという目標を達成したい、と深層意識に入っているのに、それと矛盾する行動を取ると気持ち悪くなります。

自分の中で整合性が取れない状態が落ち着かない、というだけです。アイデンティティの居心地が悪い、という表現でもいいかもしれません。

面白いのは、こうなると「やめたほうがいいと分かっているのにやめられない」系の悪習慣が、少しずつ消えていくことです。自分はこの効果を、何度か実感しています。

ブログは「篩にかけた文章」。たまに日記の内容が漏れる

一方で本ブログは、篩(ふるい)にかけた文章です。これでも一瀬直の「綺麗な部分だけをお送りしている」感じがあります。見せる前提で書く以上、言葉の角を落とし、筋を通し、読み手に渡せる形に整える必要があります。

だからブログは、日記ほど自由ではありません。その制約があるからこそ、読み物として成立します。日記とブログは、同じ「書く」でも目的が違うのだと思います。

ただ、ときどきうっかり、日記に書くべきものをブログで書いてしまうことがあります。勢いで書いて、後から「これは紙に置くべきだったかもしれない」と思う。自分はそれも含めて、後から振り返れば面白いなと思っています。

紙の日記は、思考と感情と目標の置き場です。ブログは、そこから取り出したものを整えて、人に見せられる形にする場所という側面があります。しばらくこの習慣は続きそうです。

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