未然に防いだことは評価されづらい

考え

何かを成し遂げた仕事は、成果物が目に見えやすく、評価もされやすいものです。一方で、自分の行動によって「本来起きてはならなかったこと」が未然に防がれた場合、その価値はほとんど可視化されません。結果として、評価も感謝もされづらい。これは、多くの仕事に共通する構造だと感じています。

審理という、表に出にくい仕事

国税の職場に勤務していた頃、私は審理という仕事に長く携わっていました。
審理の仕事をざっくり言えば、調査担当者が行った調査内容や集めた証拠資料が、法令に基づいて的確かどうかを確認する役割です。調査担当者は、その内容を「決議書」という文書にまとめます。

個人的に、この決議書にはアートの要素があると思っています。
否認事項、つまり修正申告を慫慂することは、感覚や印象で行うものではありません。すべて法令に基づき、課税要件を満たしていることが、第三者にも分かる形で示されていなければなりません。

証拠が足りなければ、修正申告は慫慂できない

たとえば、事業年度末までに債務が確定していないものを、その事業年度の損金の額に算入していたケースを考えてみます。この場合の論理構成は、概ね次のようになります。

まず、
1.その処理が「未確定の債務であるにもかかわらず当事業年度の損金の額に算入されている」ことを示す資料
次に、
2.正しい処理、すなわち「翌事業年度に債務が確定する取引である」ことが分かる資料

そして、
3.1と2の差分を当該事業年度の所得金額に加算する、という結論です。

契約書には役務提供の内容が記載されていることが多く、その取引がどのような性質のものかを示します。加えて、納品書や検収資料などがあれば、「この時点で債務が確定した」と説明できます。

これらの証拠資料が揃ってはじめて、修正を求める論理が成立します。
資料が足りない場合、審理は「この内容では修正を求めることはできないので、決議書を作り直してください」と伝えます。

細かくてうるさい仕事に見えるかもしれないが

調査担当者からすると、審理の指摘は細かく、時には「うるさい」「面倒だ」と感じられるかもしれません。しかし、修正申告を慫慂する場合でも、職権で更正を行う場合でも、決議書は必ずチェックされます。

もし、法令や証拠に不備がある決議書を通した後、やっぱ修正申告しないので更正してくださいと言われる可能性があります。
そうすると、課税要件を充足する証拠資料がないので、結局、更正をすることができないということになってしまう。
審理の仕事は、そうした「あってはならない事態」を事前に防ぐ役割を担っています。

表に出ることはほとんどありませんが、だからこそ重要な仕事だと感じていました。

評価されにくい仕事は、世の中にたくさんある

審理に限らず、世の中には評価されにくいけれど、なくては回らない仕事が数多くあります。
システムエンジニアの仕事も、その一例かもしれません。トラブルが起きなければ注目されませんが、何事もなくシステムが動いているのは、日々の地道な対応のおかげです。

未然に防がれたトラブルは、起きていない以上、誰の記憶にも残りません。
しかし、それは「何もしていなかった」ということとは、まったく違います。

見えない貢献に、感謝を

「あなたの働きのおかげで、起きるべきではないことが未然に防がれました。」
こうした言葉が、本人に直接伝えられることは少ないかもしれません。

それでも、誰かがそうした仕事を担っているからこそ、社会は回っています。
評価されづらい仕事に携わっている方々に対して、ここで私なりに感謝の気持ちを伝えたいと思います。

目に見える成果だけが、仕事の価値ではありません。
見えないところで起きなかった出来事も、立派な成果のひとつだと私は思っています。

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