国税の世界には、言語化されにくい序列感がうっすら存在していた気がします。その一つが「専科新卒ストレート」への小さな誇りです。
いまは採用枠が多様ですが、少し前までは大きく「高校・専門卒の普通科」と「大卒の専科」という分け方が目立っていました。さらに専科の中でも、大学を留年・浪人せず、卒業後すぐ4月から入庁する人が「新卒ストレート」です。自分の体感では、同期の3人に1人くらいがその層でした(もちろん正確な統計ではありません)。
同期は仲が良いことも多い一方で、年齢がばらばらです。民間経験者が中途で受験して入ってくることもある。そういう中で「空白期間なく一直線でここまで来た」という感覚が、本人の中で、それっぽい矜持になりやすい。周りからも「君はストレートか」「何歳食い(遅れて入ったのか)」のように、年配の上司が気軽に話題にすることがあります。本人にとっては、褒め言葉とまではいかなくても、印象に残るラベルになります。
仲間意識と矜持は悪くないが、内輪で完結しやすい
誤解のないように言うと、この矜持自体が悪いと思っているわけではありません。試験を突破して入ったこと、組織で鍛えられたこと、その連続の中で積み上がった自信は、仕事の土台になります。同期同士の連帯感も、現場では実際に助けになります。
ただ、この肩書は基本的に“国税の内側”で意味を持つものです。外の世界に出ると、説明しないと伝わらない。すると、肩書が価値を持つ場所に自分を留めたくなる。これは自然な心理だと思います。
自分が少し怖いと感じるのは、その心理が「転職や独立は考えられない」「ここを離れたら、価値が薄くなる」という思考に繋がりやすい点です。肩書に支えられるほど、肩書を手放しにくくなる。居心地の良さが、選択肢の狭さにもなるわけです。
「もったいない」が判断を歪める仕組み
こういう状態に近いものとして、「すでに費やした時間や努力が惜しいから、撤退できない」という心の癖があります。一般にサンクコストに引きずられると説明されますが、要するに「ここまで頑張ったんだから、辞めるのは損だ」と感じてしまうことです。
専科新卒ストレートは、とくにこの罠に入りやすい気がします。留年も浪人もせず、試験に通り、配属され、評価され、気づけば年数が積み上がっている。ここまでの積み上げが“自分の正しさ”の証拠にも見えてくるので、別ルートを考えること自体が裏切りのように感じてしまう。
自分もまさにその側にいたので、これは他人事ではありません。正直に言うと、「ストレートで入ったのに、わざわざ外に出るのは損では?」という迷いは、何度も頭をよぎりました。
「伽藍を捨てよ、バザールに向かえ。」でフィルターが外れた
自分が組織の外に挑戦したいと思えたのは、「国税の中だけで完結する評価軸」から一度距離を取りたかったからです。そこで背中を押された言葉の一つが、橘玲さんの書籍に出てくる「伽藍を捨てよ、バザールに向かえ。」という一節でした。
伽藍は、大きな組織や制度の象徴として読めます。バザールは、競争があって、評価が日々動く市場の側です。これに触れたとき、自分が国税というフィルターの中で世界を見ていたことに気づきました。内輪の価値観が、外の世界を勝手に小さく見せていたのかもしれない、と。
同じ文脈で思い出すのが、岡本太郎さんの「人生は積み重ねではなく、積みへらすべきだ」という趣旨の言葉です。蓄えれば蓄えるほど身動きが取りづらくなる、過去の堆積に埋もれて動けなくなる、だから捨てていくのだ——という考え方です。「肩書や経歴が増えるほど、逆に自由が減る」という感覚は、リアルだと思います。
結局、専科新卒ストレートという肩書は、誇ってもいい一方で、しがみつくと動けなくなる種類のものでもあります。内輪で盛り上がる称号に足を取られるくらいなら、いっそ手放してしまったほうが身軽になる場合がある。自分にとって独立は、その確認作業でもありました。


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