調査部門に復帰したぞ
4年ぶりに調査26部門へ戻ってきました。今度は内勤担当ではなく、待望の調査担当です。調査部も6年目に入り、「そろそろ慣れてきた」と言いたいところですが、部門内では最年少。立場としては、まだまだ下っ端です。
主査との相性、日々の学び
調査は、ペアを組む主査との相性が非常に重要だと思います。今回の私のペアは、金融プロパーではないものの、調査部調査の経験が長く、温厚で優しい方でした。しかもお酒好き。二人で金融機関を回る日々の中、移動時間はデリバティブ取引やヘッジ会計の本を開き、道すがら知識を深めました。メガバンクは特官室の所掌でしたから、私たちは政府系金融機関や、東京国税局管内の地方銀行を担当します。
出張と宿泊先でのひととき
地方銀行への出張は宿泊を伴うこともあり、その手配は下っ端の私の役目。宿泊先は迷わずドーミーインです。当時は宿泊費高騰の波もまだ小さく、官費で十分収まる範囲。サウナ好きの私にとっては、仕事後のひとときが楽しみで仕方ありませんでした。日中は9時から17時まで調査、ホテルに戻ってから主査と軽く打ち合わせ。その後は近所の居酒屋で反省会です。「増差出ないと酒も美味しく飲めないね」などと言い合いながら、ああでもないこうでもないと事案を振り返る。最終日には二人同時にそれぞれ非違項目を発見し、粘ってよかったねと言い合ったこともありました。
忙しさと充実感が同居した上半期
この事務年度の上半期は、今思えばかなり忙しい時期でした。出張手配や準備調査をこなしつつ、現場では当局の意見をぶつけ、並行して審理に相談しながら決議書を作成。さらに少し難易度の高い更正の請求案件が私に回ってきたり、引継ぎ事案の対応も任されました。それでも、不思議と苦ではありませんでした。
調査審理課経験が活きた瞬間
調査審理課での経験が役立ったのか、決議書に添付する証拠資料の不足を指摘されることはほとんどなく、想定より前倒しで仕事を進められました。忙しさと充実感が同居する日々。年末には「下半期は少しペースを落として過ごせるかもしれない」と淡い期待すら抱いていました。
突然の庁出向命令
しかし、その予想はあっさり覆されます。年末、統括に呼ばれた私はこう告げられました。
「年明けから国税庁に出向してくれ」
思わず「またかよ!?」と心の中でつぶやきました。局の調査部から庁の課税部へ出向する場合、まず局課税部に併任発令し、そこから庁課税部へ出向するという段取りを踏むのだと、そのとき初めて知りました。
新制度部署への配属と心境
併任先からは「新しい税制に関する部署に配属になるので、年末年始のうちに勉強しておくように」と指示がありました。こうして迎えた年末年始は、正直、暗澹たる気持ちでした。せっかく希望して調査に戻ってきたのに、また審理系統に呼び戻される――まるで見えない引力に逆らえないような感覚です。このとき、調査でキャリアを積む道はあきらめ、審理の世界で生きていくしかないと、妙に達観しました。
コロナ禍での庁勤務と孤独感
庁に出向して間もなく、新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令されます。隔日出勤が始まり、自宅にネット未接続の庁支給PCを持ち帰り、紙ベースの資料をめくりながら作業する日々。電子データのやりとりが制限される中での業務は非効率の極みで、精神的にも消耗しました。庁でも財務省のカウンターパートでも顔見知りはほぼゼロ。着任間もない立場では軽はずみな発言もできず、ただ与えられた膨大な仕事をこなすしかありません。金曜の夜は「翌日が休みだから」と朝まで仕事を続けたこともありました。当時はそれが当たり前の空気だったように思えます。
週末の現実逃避と支え
そんな中での救いは、土日の現実逃避でした。当時の彼女(今の妻)とLINE通話をつなぎながら、ドラクエ10を一緒にプレイしたり、スマホの麻雀アプリで対戦したり。仕事とは無関係な時間を共有することで、心がじんわり温まる感覚がありました。精神的にどれだけ支えられたか、今でも感謝の気持ちは尽きません。
参考記事:ドラクエ10がつないだ縁、今こそ恩義に報いるとき
大きな変化の1年を終えて
振り返れば、この事務年度は公私ともに大きな変化の年でした。異動、庁出向、そしてコロナ禍。慣れない環境での業務と生活は決して楽ではありませんでしたが、それでも何とかやり抜くことができたのは、人とのつながりと、ささやかな日常の楽しみがあったからです。次の事務年度、私は引き続き庁での勤務を続け、少しずつ庁の仕事の全体像を理解していくことになります。
コメント