ゲームは人生の縮図説

ゲーム

年始ということもあり、執筆が一段落したら、久しぶりにゲームでもやろうかなと思っています。
年を重ねてからあらためて感じるのですが、昔やっていたゲームというのは、驚くほど人生感に満ちている気がします。

たとえばドラクエ。
目的(ラスボス撃破)を達成するためにレベルを上げる。レベルを上げるためには、地味にフィールドを歩き回って、そこら辺のモンスターを倒し続ける。お金を稼ぎ、装備を整え、最終的には強敵であるボスに挑む。

これ、やっていること自体はかなり単調です。でも、なぜか続く。
たぶん人生も同じで、「ボス戦」だけが楽しいわけではなく、その前段階の積み重ねに意味があるからだと思います。

スキルパネルは、自分の人生の振り方そのもの

最近のドラクエには「スキルパネル」という概念があります。
攻撃力を伸ばすのか、補助系を厚くするのか、回復役に振り切るのか。限られたポイントの中で、自分の特性に合わせて選択していく仕組みです。

これが、年齢を重ねるほど刺さります。
若い頃は「全部取れる気がする」のですが、ある程度年を取ると、スキルパネルがどんどん閉じていく感覚がある。全部は無理だと、うっすら分かってくる。

だからこそ、まだ気力体力があるうちに、どのスキルを伸ばすのかを意識的に選びたい。
人生をもう少し拡張できるような振り方をしておかないと、後半は選択肢そのものが減っていく。そんなことを、ゲームを通じて考えさせられます。

桃鉄と風来のシレンが教えてくれる「お金」と「取捨選択」

人生モデルとして秀逸なのは、ドラクエだけではありません。
桃鉄は、かなり露骨に「お金のゲーム」です。

目的地に向かう過程で、必ずプラスになるマスもあれば、必ずマイナスになるマスもある。
カードという便利な道具をどう使うかで、展開は大きく変わります。短期的に一気に進むのか、地味でも確実なルートを取るのか。戦略と戦術の両方が問われます。

一方で、風来のシレンをはじめとする所謂ローグライク系は「リソース管理」の極地です。
持てるアイテムの数は限られていて、すべてを抱えて進むことはできません。道中で拾ったものを、使うか、捨てるか、置いていくか。常に取捨選択を迫られます。

最終的に重要なのは、「いくら残ったか」ではなく、「最深部まで辿り着けたか」。
お金を攻撃力や防御力に変えて使い切る場面もあり、99階で資産がゼロでも、クリアできていればそれでいい。

この感覚は、人生後半の資産の使い方や、時間の使い方にもかなり近い気がします。

2026年は、ゲームのように淡々と積み上げる年にしたい

こうして考えると、ゲームというのは、かなり親切に人生をシミュレーションしてくれる存在です。
目的が明確で、ルールが分かりやすく、失敗してもやり直せる。

現実はそうはいきませんが、それでも
・地味なレベル上げを続ける
・スキルの振り方を意識する
・リソースは使い切る前提で管理する

このあたりは、そのまま人生に応用できるように思います。

2026年は、ゲームのように淡々と積み上げていく一年にしたい。
久しぶりにゲームを起動しながら、そんなことを考えています。
執筆が落ち着いたら、まずはどれから始めようか。
ここ1年間を振り返るにやっぱりドラゴンクエスト5かな

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