退職まで、あと1か月ちょっととなりました。
令和7年7月10日、私は15年以上お世話になった国税の職場を離れます。
職場のOutlookカレンダーには、有給消化の予定を「残あと○日○時間」とメモしながら、日々、淡々と準備を整えているところです。ちなみに7月に入れば夏季休暇も使えるようなので、出勤しなくていい日がさらに3日増えました。職場に行く日数が減ることに、正直ほっとしている自分もいます。
今回は、そんな今だからこそ、国税の職場に対して思うことを率直に書いてみようと思います。
今の職場に対して抱いている感情は、ひとことで言えば「安堵」と「責任」の混在です。
退職できることへの安堵と、去る前に、これだけは言っておいた方がいいのではないか、という責任のような感覚。
特に、若手職員に向けて伝えておきたいことがあります。説教のつもりはありません。むしろ、かつての自分自身に向けて書くつもりでいます。
ジェンダー的にやや時代錯誤かもしれませんが、私は男性の職員として働いてきた立場ですので、今回は男性職員として感じてきたことを主軸に述べます。女性職員については正直、実感を伴って語ることができません。ご容赦ください。
10年以上働いてきて感じるのは、いわゆる「支店」現場で、受け身で仕事をしていたり、定時で帰ることを当然とするような姿勢が常態化していると、10年後の予後があまり良くない、ということです。
もちろん、定時で帰ること自体は悪いことではありません。むしろ、心身の健康を守る意味では重要です。ただ、それを目的にしてしまうと、仕事に対する姿勢が平板になってしまい、いつまで経っても仕事の面白みや成長の実感を得られなくなります。
仕事を「やらされているだけ」と感じ始めると、職場も人間関係も、そして自分自身の能力すら、何一つ面白くなくなっていく。
私はそんな人を何人も見てきました。そして、かつての自分も、その一歩手前まで行ったことがあります。
だからこそ、若いうちは「仕事について考えている時間」がどれだけ多いかが、実はすごく大事なんじゃないかと感じています。
家族の事情でどうしても休暇を取らざるを得ない方がいるのも理解していますし、それ自体を否定するつもりはまったくありません。ただ、そうした環境にあると、どうしても仕事に対する思考の密度が下がってしまう。若い時期にこそ、仕事にある程度フルコミットする時間を確保し、生活の変数を減らして集中するという選択も、私は一つの在り方だと思っています。
もう一つ、気になっているのが、「指示の誤解とすれ違い」です。
上司や管理者のオーダーに「わかりました」と応える一方で、出来上がってくる成果物がまるで違う。なぜか返事の良い人に限って、こうしたズレが目立つような気がしています。
主査と調査官、統括と部門調査官、特官と特官付調査官、さらには三役と統括の間にも、この構図はよく見られます。
料理に例えるなら、「カレー作っておいて」と言われたのに、なぜか寿司を握り始めるような感じです。
そして、「お前、カレーって言ったよな!?」という怒号が飛ぶ。それが、今の職場でしばしば起きていることです。
オーダーの咀嚼が不十分なまま、手だけを先に動かしてしまう。
これは新規採用の1年目や2年目ならまだしも、ある程度経験を積んでからだと、指示が抽象的になる分だけ、適切な解釈と方向付けが必要になります。
「よくわからないけど、とりあえずやってみよう」という姿勢自体は大切です。ただし、それが思考停止であってはいけません。
調査も審理も、決してルーチンで回るほど単純な仕事ではありません。だからこそ、咀嚼してから動くことが、これからの実務家に求められる能力だと感じています。
そして最後に、どうしても書いておきたいのが、「管理職以上の職員が、楽しそうに働いていないように見える」という問題です。
若手にとって、数年先を行く先輩たちの姿は、自分の未来の姿そのものです。その先輩たちが、疲れた表情で愚痴をこぼしながら働いているのを見続けていれば、「自分もいずれ、ああなってしまうのか」と思わざるを得ません。
幹部は幹部で、きっとやりがいや使命感を持って働いているのでしょう。でも、残念ながらその気持ちは下にはあまり届いていないように感じます。
むしろ、「部下ガチャ」的な要素――つまり、病気のある職員や、スキルの低い人材をどう避けるかに頭を悩ませている姿ばかりが目に入ります。
私も何度か、「もう少し当局にいれば、管理する側になって仕事の面白さがわかってきたのに」と言われました。
でも、その“面白さ”を伝える努力をしてこなかったのは誰なのか。伝える言葉がなければ、面白さは決して下に届きません。
「ここが面白い」「こういう裁量が持てるようになる」ということを、多少抽象的でもいいので言語化して管理職としての魅力を伝えていくべきだったのではないかと思います。
この「伝えなかった」という怠慢が、今の若手の大量離職や、重苦しい空気感の原因になっているのではないでしょうか。
退職を目前にして、こうして書きながら、自分もまた完璧には程遠かったなと反省しています。
好きで始めた仕事ではありませんでした。でも、自分なりに意味を見出して、なるべく明るく、上機嫌で仕事に向き合ってきたつもりです。
与えられた場の中で、自分のやり方を試行錯誤しながら、何とかやってきました。
国税という職場には、たしかにクセがあります。人間関係、制度、評価…どれをとっても、決して「居心地がいい」とは言いません。
でも、その中で働いてきた日々には、確かに意味がありました。今なら胸を張ってそう言えます。
私は、「居心地が悪いならサッサと辞めてしまおうぜ」と若手に言いたいわけではありません。
むしろ、残るという選択をされた皆さんを尊重したいし、そうした方々にとって、職場が少しでもいい場所であってほしいと思っています。
だからこそ、言いにくいことも、あえて書いておきたかったのです。
退職までの残りの日々、私も、やりきって終わろうと思います。
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