今日は妊婦健診でした。
お腹の中の子は体重が1キロになり、順調に育っていそうとのことでした。特に問題もなく、まずはこのまま何事もなく年末年始を過ごしたいなと思っています。
ところで、先日、自宅兼事務所に妻の中学生時代の同級生が集まることになりました。そうなると、必然的に私は家から弾き飛ばされることとなります。まあ、私がいても普通に邪魔ですよね。
なお、家の掃除は私が丹念にやりました(良い夫アピール)。
そして、せっかくの機会なので、遠くない実家に顔を出すことにしました。
キャッチボールの話から、原点へ
実家で少し話をしていると、父が「孫が大きくなったら一緒にキャッチボールをしたい」と、何気なく言いました。
実現できるといいね、とは思いますが、同時に、それまで元気でいてくれよ、とも思います。足腰がどうこうなる前に、せめてボールくらいは投げ合える状態でいてほしいものです。
そんな一言から着想を得て、帰り道に、久しぶりに自分が生まれた家の近くに立ち寄ってみることにしました。
生まれた家という「原点」
今の実家は、私が10歳の頃に購入した戸建てです。それまでは、同じ杉並区内の、もっと狭い家に住んでいました。
その家は、父が大学時代に上京した際に、今はもう亡くなってしまった祖父が、父とその妹のために買ってくれたものだと聞いています。今思えば、なかなかすごい話です。
私も都内の不動産を買ってもらいたい!!!!
それはさておき、私は10歳までその家で過ごしました。今も建物の外観は当時のままで、別の方が住んでいます。
当時、キャッチボールをしていた場所に立ってみると、驚くほど狭く感じました。
子どもの頃は、あんなに広いと思っていたのに、今見ると本当に小さい。視界も、世界も、ずいぶん違って見えます。
記憶と現実のズレ
当時の私は、何を考えていたのでしょうか。
たしか、本気で野球選手になろうとしていた時期があったような気がします。根拠はありませんが、本人は真剣でした。
周囲の家並みはほとんど変わっておらず、住んでいる人も、当時からの方が多そうでした。街全体が、時間をゆっくり溜め込んでいるような印象を受けました。
なんというか、「原点に立ち返る」という表現が、しっくり来る感覚ですね。
生まれた場所が持つ意味
今の自宅兼事務所に、いつまで住み続けるかは分かりません。ただ、子どもにとって「生まれた場所」というのは、思っている以上に意味を持つものなのかもしれません。
私自身、今の実家に引っ越した後も、誰も住まなくなった旧家に漫画本を大量に持ち込み、ひたすら過ごしていた時期があります。今振り返ると、少し異様な執着だった気もしますが、それだけその場所が「自分の一部」だったのかもしれません。
正直に言えば、今でも旧家の中を見てみたい気持ちが、まったくないわけではありません。ただ、現実的には通報されかねませんし、仮に見せてもらえたとしても、そこにはもう他人の生活が染みついているはずです。
おそらく、現実を見たら、こちらが勝手に美化していた記憶とのズレに、少しショックを受けるのだと思います。
思い出は、思い出のままで
思い出の場所は、思い出のままにしておくのが、一番ちょうどいいのかもしれません。
ただ、完全に切り離す必要もない気がします。
数年に一度くらい、原点に立ち返るつもりで、あの家の近くを通ってみる。それくらいの距離感が、今の自分にはちょうど良いように思います。
今日のところは、そんなことを考えました。


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