公務員として勤務していた頃、年末になると職場宛に年賀状が届いていました。
とくに、関係民間団体との橋渡しを担う部署にいた時期は、年賀状に加えて、年末になるとカレンダーをくださる企業も多く、そうしたやり取りはごく当たり前の光景でした。
思い返すと、東京局調査部に所属していた際、年末に比較的難易度の高い更正の請求の処理を担当したことがあります。税理士事務所から「可能であれば年末までに」と依頼を受け、私なりにできる限りの対応をしました。結果としてそれを非常に喜んでいただき、その年以降、年賀状が届くようになった事務所もありました。調査部では、決して珍しい話ではなかったように思います。
独立して、年賀状をやめるという判断
独立してからは、年賀状の送付は原則として行わない方針にしています。
年賀状文化そのものを否定するつもりはありませんが、業務の連絡の多くがデジタル化され、弊所でもICTを前提とした運営をしている中で、紙の年賀状を改めて送ることには、少し違和感を覚えています。
硬貨のつかみ取りという、お年玉の記憶
一方で、年末年始の行事の中で、今も残ってほしいと思うものもあります。お年玉です。
もっとも、現時点では私自身がお年玉を渡す相手がいるわけではありませんが、正月に会う機会があれば、親族の子どもには渡したいと考えています。
お年玉と聞くと、父方の祖父のことを思い出します。祖父は、お年玉袋ではなく、「硬貨のつかみ取り」をお年玉として用意していました。
硬貨が山のように積まれた箱から、子どもの手の大きさに合わせて二つかみ、三つかみと鷲掴みにし、それを袋に入れる。小学生だった私にとっては、それが正月の一大イベントでした。
従兄弟同士の仲が良かったこともあり、それぞれの金額を数えたあと、最終的には合算して山分けしていました。硬貨を種類ごとに分け、積み上げ、合計額を確認する過程そのものが、何より楽しかった記憶があります。
「お金自体が好き」という感覚
祖父は、普段の買い物で受け取った釣り銭を、その「つかみ取り用の箱」に入れていたようです。それが一年かけて溜まり、正月にお年玉になる。今思えば、お金の流れをとても自然な形で見せてくれていたのだと思います。
お金は汚いものだとか、触れてはいけないものだとか、そういう感覚は、少なくとも私にはありませんでした。貨幣的価値を抜きにして、「お金という存在」が身近で、どこか好きだった。そうした幼少期の記憶が、巡り巡って今の税理士という仕事に、ほんのわずかでもつながっているのかもしれません。知らんけど。
年末は、こうした過去の慣習をふと立ち止まって思い返す時期でもあります。
年賀状をやめる判断も、お年玉を残したいという感覚も、どちらも「今の自分なりのお金との距離感」の結果です。
来年は、家庭環境も変わり、これまで当たり前だった年末年始の風景も、少しずつ変わっていくのかもしれません。そうした変化を前に、今年の終わりに、あらためてお金や慣習との付き合い方を整理しておきたいと思います。


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