国税の職場のよさは「現実を見られること」だった、という話

国税職員

しばらく税金に関する記事が続いたので、今日は少し雑記です。16年ほど国税の職場にいた人間として、「国税の職場はおすすめか」「どこがどのようによかったか」と聞かれることがあります。

ただ、この問いは少し答えにくいです。向いている人と向いていない人の差が大きいですし、配属先や上司、時代によって見え方も変わるからです。なので、今日は「おすすめです」「おすすめしません」と切るのではなく、今になって思う国税の職場の特徴を、少し抽象度を上げて書きます。

結論から言うと、自分は国税の職場のよさは、公務員でありながら、かなり現実主義的な仕事ができることにあったと思っています。

公務員の中でも、「現物」を扱う仕事

公務員の仕事は幅が広いです。目の前の住民に直接かかわる仕事もあれば、制度や政策のように、少し遠い将来を整える仕事もあります。どちらが良い悪いという話ではありません。

その中で、国税の調査や徴収の仕事は、かなり「現物」を扱う仕事です。観念ではなく、目の前の数字、目の前の人、目の前の資金繰りを扱います。ここが、自分にとっては面白いところだったと思います。

たとえば法人調査で年商1億円の会社に行けば、そこには1億円を実際に積み上げた経営者がいます。売上1億円という数字は申告書の上では一行ですが、現場ではそうではありません。何を売って、どう営業して、どこで利益が出て、どこで苦しくなったのか。数字の裏側にある生の経営が見えます。

これは机の上だけでは分からない感覚です。世の中がどう回っているかを、かなり近い距離で見ることができます。

誤りや不正の背景に、人間の理屈がそのまま出る

国税の仕事では、経費の水増しや売上除外のような誤り、不正に接することがあります。外から見ると、「法令違反をした人」と一言で片づきそうですが、現場で実際に話を聞くと、もっと人間くさい理屈が出てきます。

自分が若い頃、ある女性社長が、私的な支出を経費に入れていたことがありました。その方が言っていたことが、今でも少し印象に残っています。趣旨としてはこうです。男性は酒を飲んでストレスを発散し、それが仕事の活力になり、その費用は交際費になったりする。では、女性が化粧品や服にお金をかけて気分を上げ、仕事への意欲につなげるのは、なぜ経費にならないのか。自分にはそれが不公平に思える、という話でした。

もちろん、税務上その理屈が通るわけではありません。ただ、こういう話を現実の言葉として聞くと、「人はなぜルールを越えるのか」「どこで自分を正当化するのか」を考えさせられます。ドラマの中の悪人ではなく、普通に仕事をしている人が、普通の言葉で自分の理屈を語る。その生々しさは、国税の現場ならではだと思います。

調査も徴収も、理想論だけでは回らない

国税の仕事は、単に誤りを見つけて「はい終わり」ではありません。そこから先に、かなり現実的な判断が続きます。

たとえば調査で誤りを把握しても、その追徴税額が実際に納付可能かどうかは無視できません。期間損益だけのズレであれば、あえて修正申告の対象にしない、という判断もあります。理屈のうえでは全部課税できても、現実として何をどう処理するのが妥当かを考え続ける仕事です。徴収事務も同じです。取れるはずの債権が、現実にはどうすれば回収可能なのかを見極める必要があります。

このあたりは、理想論や正義感だけではこなせません。自分はそこが国税の仕事の厳しさであり、同時に面白さでもあったと思っています。

若い頃はこの感覚がうまく言語化できていませんでした。ただ今になって振り返ると、「現実を見て判断する」訓練を長く受けていたのだと思います。

安定した身分のまま、現実の厳しさに触れられる

国税の仕事の独特なところは、公務員という安定した身分にいながら、質問検査権というかなり強い権限を使って、民間の現実に深く入っていけることだと思います。

給料が他の公務員より少し高いとか、体育会系の空気があるとか、飲み会が多いとか、そういう話も確かにあります。ただ、自分からすると、そのあたりは枝葉です。本質は、安定した立場にいながら、かなり泥くさい現実主義の仕事ができることにあります。

現実主義で生きることは、案外心地がいいです。理想を語るより、目の前の数字と人に向き合うほうが、自分には合っていました。だから今の税理士業にもつながっているのだと思います。

もちろん、今は税理士として働くほうが、自分の人生にとっては充実感があります。ただ、国税の職場にいた十数年も、悪いものではありませんでした。古巣を必要以上に悪く言う国税OBとは少し違う立場で、その点は素直に認めておきたいなと思いました。

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