HUNTER×HUNTERの39巻が先日発刊され、ネット上では盛り上がりを見せています。私はキメラ・アント編までしか追えていないので、31巻以降はゆくゆくの楽しみに取っておくつもりです。
そんな折、Amazon Kindleストアを眺めていたら、「まじかるタルるートくん」の合本版が1冊11円、全巻合わせて66円で売られていました。気づいたらポチっていました。私にとって人生に影響を与えた漫画のひとつです。
最近は税金に関する記事が続いた気もするので(気のせいか?)、今日は肩の力を抜いて、この漫画の話を勝手に語っていきます。
ドラえもんのアンチテーゼ
まじかるタルるートくんは、1988年から週刊少年ジャンプで連載された江川達也氏の作品です。勉強もケンカも苦手な小学生・江戸城本丸のもとに、魔法使いの子どもタルるートが現れるところから物語は始まります。
作者の江川氏は、この作品をドラえもんのアンチテーゼとして描いた側面があると語っています。ドラえもんはどちらかという品行方正な属性のキャラクターで、のび太の困りごとに秘密道具を出して助けます。対してタルるートは破天荒で、道具の使い方や魔法の効果が10分で切れるなど予測不能です。
そして最も大きな違いは、主人公の側にあります。のび太はドラえもんの道具に頼る構図が基本ですが、本丸はタルるートの魔法を借りつつも、自分の力で壁を越えていきます。いじめっ子のじゃば夫より強くなり、ライバルの原子力より強くなり、最終的にはラスボス的扱いの座剣邪寧蔵すら乗り越えます。少年漫画としての成長譚の骨格がしっかりある作品です。
衝撃だった結末
物語の中盤、本丸は一度命を落とします。日曜朝のアニメではここまで描かれませんでしたが、漫画版で読んだとき、この展開には強い衝撃を受けました。幼い頃ながら死生観というものを考えさせられました。
また、物語の終盤、タルるートは本丸のもとを去ります。本丸はタルるートを元に戻す方法を知っています。それでも「きっとこの空の下のどこかで、タルるートを必要としている奴がたくさんいる」と言い、タルるートを呼び戻すことはしません。そしてこれから先どんな運命が待ち受けていても、楽しく強く生きていけると語って物語は幕を閉じます。
道具に頼っていた少年が、最後にその提供者を自ら手放す。ドラえもんのアンチテーゼとして始まった物語の、これ以上ない結末だと感じています。
漫画に映る「親」の時代性
親の描かれ方も平成を象徴しているなとしみじみ思います。
本丸の父親は、ダメなところもありつつ質実剛健で、弱気になっている本丸に喝を入れるタイプです。のび太の父親とはまた違う父親像です。母親の千鶴さんは、すべてを受け止める母性に満ちた存在として描かれています。本丸が安定した愛着を形成し、自力で困難に立ち向かう信念を培ったのも、この両親を見れば納得がいきます。
一方、令和の漫画では主人公やその周辺人物の親が「毒親」として描かれる作品が目立ちます。
「タコピーの原罪」のしずかちゃんの家庭。「おやすみプンプン」のプンプンや愛子ちゃんの親。「明日、私は誰かのカノジョ」では、主人公の雪の母親は幼い娘を放置するネグレクト型で、恋人の太陽の母親は息子の行動を逐一管理する過干渉型です。放置と過干渉という正反対の形で、どちらも子どもの心を深く傷つけています。
「みいちゃんと山田さん」も壮絶です。みいちゃんは母親とその実兄との間に生まれた子で、家庭の出発点そのものが歪んでいます。山田さんの母親は過激な教育ママで、娘の1日を分刻みで管理し、欲しがる漫画も付き合う友人もすべて親が指定する。どの家庭にも子どもにとっての心の安全基地がありません。
昭和・平成の漫画に比べると、親子関係の歪みが物語の軸に据えられる傾向は明らかに強まっています。漫画が時代の空気を映しているのかもしれません。
大人になった今こそ読んでほしい
平成のあの時代らしく、作中にはお色気シーンも多いため、小学生には漫画版をおすすめしづらい面はあります。けれど大人になった今、「そういえば子どもの頃にあった漫画だな」くらいの記憶の方にこそ、改めて手に取ってみてほしい作品です。ドラえもんのアンチテーゼとしての構造も、平成の健全な家族のあり方も、当時は気づかなかったものが見えてきます。
